項目データ
作曲年1806年
初演1806年12月23日
献呈シュテファン・フォン・ブロイニング
演奏時間45分程度

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61は、1806年に作曲されました。
ベートーヴェンが作曲した唯一の「完成した」ヴァイオリン協奏曲でもあり、ベートーヴェンの中期を代表する作品としても知られています。
「ヴァイオリン協奏曲の王者」と呼ばれ、メンデルスゾーン・ブラームスの作品と共に「三大ヴァイオリン協奏曲」とも呼ばれる作品です。

曲調はベートーヴェンの穏やかな部分が溢れており幸福感に包まれるような音楽です。

ベートーヴェンのヴァイオリンと管弦楽のための作品は合計4曲あり、他には2曲の小作品「ロマンス(作品40および作品50)」と未完の協奏曲があります。

1804年からの10年間は、交響曲第3番(英雄)をはじめとする6つの交響曲やピアノ、ヴァイオリンの優れた協奏曲を次々と作曲しています。
特に1806~08年は「傑作の森」と呼ばれています。
1802年の「ハイリゲンシュタットの遺書」の頃の絶望的状態から蘇ったベートーヴェンが次々と名作を生み出した時期です。

ここではベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」の解説と名盤の紹介をしたいと思います。

ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」の演奏

[00:24]第1楽章:Allegro non troppo(アレグロ・マ・ノン・トロッポ ニ長調)
[25:59]第2楽章:Larghetto(ラルゲット ト長調)
[35:54]第3楽章:Rondo(ロンド アレグロ ニ長調)

アラベラ・シュタインバッハー(Arabella Steinbacher、1981年- )
ドイツ人の父親と日本人の母親との間に生まれたドイツのヴァイオリニスト

ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団(Deutsche Radio Philharmonie Saarbrücken Kaiserslautern)
2007年9月にザールブリュッケン放送交響楽団とカイザースラウテルンSWR放送管弦楽団が合併して設立されたドイツのオーケストラ。

ファブリス・ボロン(Fabrice Bollon、1965年- )
フランス、パリ生まれの指揮者

ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」の解説

友人ために作曲された

ベートーヴェンはピアニストの名手として知られていますが、弦楽器の演奏は得意ではありませんでした。
弦楽器の中では、ヴィオラを好んでいたと言われています。

ベートーヴェンのピアノ曲は自分でも弾くために作曲されていましたが、ヴァイオリン協奏曲はそうではありませんでした。
友人でヴァイオリニストでもあったフランツ・クレメントの依頼により作曲されました。
クレメントは、アン・デア・ウィーン劇場のコンサートマスターを務めていた名ヴァイオリニストでした。

自筆譜には「クレメントのためにクレメンツァ(慈悲)をもって作曲」というジョークが残されています。
このことからもベートーヴェンが冗談好きであったことが推測できますね。

Beethoven

初演は失敗だった

今では歴史的傑作として評価されている作品ですが、初演は失敗に終わったそうです。
それは当時の人々にとって「前代未聞の協奏曲」だったことが大きな要因だったと言われています。

まずは曲が長すぎることです。
第1楽章だけで20分を越え、全部で45分ほどの大作です。
また当時のヴァイオリン協奏曲は「ヴァイオリンが主役」なのが普通でしたが、この作品はオーケストラのみで演奏される箇所が多くあります。
またティンパニ独奏で始まることも斬新でした。
新聞には「前後のつながりがなく、支離滅裂」「平凡な箇所が繰り返される」「関係なく重ねられた大量の楽想」と酷評されています。

当時の協奏曲は華やかでヴィルトゥオーゾを楽しむものでしたので、人々にとっては新しすぎたのかもしれません。
結局ベートーヴェンの生きている間にはこの作品に人気は高まらず、初演後は40年の間に数回しか演奏されなかったそうです。
その後亡くなった後に徐々に認められはじめ、19世紀後半には最も人気のあるヴァイオリン協奏曲として定着しました。

ちなみに不評だった初演ですが、演奏自体はクレメントの名演により大喝采を浴びました。
演奏会ギリギリで作曲が終わったのにもかかわらず、クレメントはほぼ初見で見事な演奏をしたそうです。

フランツ・クレメントについて

フランツ・クレメント(Franz Clement/1780年–1842年)は、ベートーヴェンの友人でアン・デア・ウィーン劇場のコンサートマスターを務めていた名ヴァイオリニストでした。
その早熟度は8歳の若さ(1788年)でヴァイオリニストとしてデビューすると、1792年には父親の同行でコンサートツアーまでおこなうほどでした。

クレメントは若い頃からその才能を発揮し、初見で難解な曲を弾きこなすことで知られていました。
クレメントは、「力強い演奏というよりは、むしろ上品で繊細でとても優しい演奏をする完璧なヴァイオリニストだった。」と言われています。

 ベートーヴェンは1794年にウィーンでのコンサートに出席し、そこで当時14歳のクレメントの演奏を初めて聴いたと言われています。

ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」は抒情的で気品があるのが印象的です。
その彼の演奏の特徴が「ヴァイオリン協奏曲」には反映されているのかもしれません。

ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」の名盤

シェリング、シュミット=イッセルシュテット&ロンドン響

シェリングとシュミット=イッセルシュテットの共演による、名盤中の名盤です。
幸福感と説得力が共存し、曲自体の魅力を存分に味わえる1枚です。

ベートーヴェンがこの作品を作曲していた頃の充実した精神状態まで感じとれるようです。

ヘンリク・シェリング(Henryk Szeryng、1918年9月22日 - 1988年3月3日)
ユダヤ系ポーランド人で、メキシコに帰化したヴァイオリニスト・作曲家
10歳でベルリンに移り、1933年デビュー。
第二次世界大戦中は、ポーランド難民移住計画交渉の外交官としてメキシコに渡り慰問演奏を行った。
1946年にはメキシコ市民権を取得。
戦後、国際舞台での演奏活動を再開し、格調高い演奏で特にバッハの無伴奏曲の演奏などで高い評価を得た。

ハンス・シュミット=イッセルシュテット(Hans Schmidt-Isserstedt、1900年5月5日-1973年5月28日)
ドイツの指揮者
モーツァルトを得意としたほか、ハイドン、ベートーヴェン、ブラームスらの古典、ロマン派の作品を主なレパートリーとし正統的な解釈で地位を築いた。
1935年:ハンブルク国立歌劇場首席指揮者
1942年:ベルリン国立歌劇場音楽監督
1945年:北西ドイツ放送交響楽団首席指揮者
1955年:ストックホルム・フィル常任指揮者 などを歴任

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