「交響曲第4番(ロマンティック)」ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner,1824年~1896年)が作曲した交響曲で、1874年にその第1稿が完成しました。
ロマンティック(Die Romantische)という副題が付けられていますが、これがブルックナー自身が付けたものかどうかはわかっておりません。

ブルックナーが作曲した9つの交響曲の中では、この「交響曲第4番(ロマンティック)」が最も変化に富んでおり印象に残るメロディも使われています。
またブルックナーの作品の中では演奏時間が長すぎない(初稿:約72分/第2稿:約66分)ことから、人気の高い作品でもあります。

ここではブルックナー「交響曲第4番(ロマンティック)」の解説と名盤を紹介したいと思います。

改訂が大きくおこなわれた作品

第1稿が完成したのは1874年ですが、「交響曲第4番(ロマンティック)」は大きな改訂がおこなわれた作品でもあります。
第1稿の初演が失敗に終わったこの作品は、1878~80年に大幅な改定がなされました。
そして完成した第2稿の初演は1881年にハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによって演奏され成功に終わったと言われています。

その後も改訂がおこなわれたため多くの版がこの作品には存在しています。
現在では1878/80年稿に基づく原典版(ハース版、ノヴァーク版第2稿)が最も多く演奏されています。

「音楽家っぽくない性格」のブルックナー

音楽家と言えば「自由奔放」「傲慢」「自己主張が激しい」などのイメージを持つ方が多いかもしれませんが、ブルックナーはそういった性格からはかけ離れていたと言われています。

自信過剰になることはなく謙虚で、権力化に対しては頭を下げていたと言われています。
服装に関しても決してオシャレとは言えなかったそうです。
また、作品に文句を言われるとそれを聴き入れて何度も書き直しています。
「交響曲第4番(ロマンティック)」が何度も改訂されているのは、ブルックナーの性格によるものも大きいといえるでしょう。

幼き頃から才能を発揮

ブルックナーはオルガン奏者である父のもとに生まれました。
幼いころから才能を発揮し、10歳になる頃には父に代わって教会でオルガンを弾いていたそうです。
このときのパイプオルガンの音色こそがブルックナーの音楽の根底に流れているとも言われています。

またブルックナーは幼き頃から美しい心を持っていたそうです。
出会った人々は幼きブルックナーの純粋な心に感動したと言われています。

音楽教師からウィーン大学の名誉博士に

幼くして父を亡くしたブルックナーでしたが、音楽の才を認められたブルックナーは順調な人生を送っていきます。
リンツ郊外の聖フローリアン修道院付属教会のオルガン奏者として30歳まで働きました。
そして音楽を生業としながら出世していき、生活も安定し、1868年にウィーン国立音楽院の教授に就任します。
そして最終的には名誉博士にまでなりました。
収入も平均的な4人家族の4倍ほどの収入があったそうです。

ブルックナーの交響曲の特徴である雄大な音楽は、このブルックナーの生活と故郷の自然が影響しているとも言われます。
またカトリック信者で生涯独身でもあったブルックナーの音楽は、感情を表現するというよりは神への信仰の表現として音楽を作っているのが特徴でもあります。
感情を吐き出すことを好まなかったブルックナーは音楽と神に救いを求めていたのかもしれません。

死後に再評価されたブルックナー

ちなみにブルックナーは死後に作曲家として再評価された人物でもあります。
オルガニストの名手でもあったブルックナーは、奏者兼作曲家としての印象が強かったようです。

それは当時のウィーンはウィンナー・ワルツ全盛期だったことが関係しているかもしれません。
クラシックファン以外の誰もが知っているヨハン・シュトラウス2世の「こうもり」は「交響曲第4番(ロマンティック)」と全く同じ1874年に作曲された作品です。
ワルツで盛り上がるウィーン人にとって、ブルックナーの音楽は少し暗めで演奏時間も長すぎたのでしょうか。

曲の構成

70分程度の作品で、全4楽章で構成されています。

第1楽章:Bewegt,nicht zu schnell(運動的に、しかし速すぎずに)

3つの主題によるソナタ形式で構成されています。

ブルックナー・リズム(2連符+3連符)

ブルックナーの交響曲の始まりの特徴である「弦のトレモロ」で第4番も始まり、それに乗せてホルン独奏による第1主題が演奏されます。
ホルンやクラリネットにも移り、クレッシェンドを経て「ブルックナー・リズム(2連符+3連符)」と呼ばれる副楽想が現れます。

ヤマガラの鳴き声

続いて現れるリズムが特徴的な第2主題は、ブルックナーの故郷(オーストリア)のヤマガラの鳴き声が表現されています。
※スズメほどの大きさの色鮮やかな鳥
ホルンとテューバなどが第3主題を壮大に奏でられたのちに、音楽は静かになり第2主題に戻ってきます。
この第3主題もいわゆる「ブルックナー・リズム」です。

静かなティンパニから始まる情感あふれる展開部が一度盛り上がりをみせた後に、音楽は今一度静かになります。
そして再びティンパニをきっかけに第1主題が登場し、再現部となります。

最後は大きなクレッシェンドをみせて、第1楽章は終わります。

第2楽章:Andante quasi Allegretto

2つの主題によるソナタ形式で構成されています。

チェロがだ1主題を奏で、それをヴァイオリンとヴィオラが包みます。
間奏のあと、ヴィオラが第2主題を演奏します。
短い展開部を経て再現部となり、ここで大きなクライマックスを迎えます。

最後は落ち着いた音楽の中で静かに終わります。

第3楽章:Scherzo

「狩のスケルツォ」と呼ばれ、ホルンが「ブルックナー・リズム」で狩りを表現した音楽を奏でます。
中間部のトリオは一転して穏やかでのんびりとした音楽で、「狩の昼休みにおける踊りの旋律」とブルックナーの自筆譜には書かれています。

第4楽章:Finale/Bewegt, nicht zu schnell

第1楽章と同様に3つの主題によるソナタ形式で構成されています。

怪しげな雰囲気で42小節に渡る序奏が演奏されます。
緊張感の中クレッシェンドで盛り上がり、第1主題が壮大に登場します。
この第1主題も「ブルックナー・リズム」です。
金管楽器による第1楽章第1主題も登場した後に、一度音楽が静まりゆったりとしたテンポとなると、第2主題が現れます。

やがて第2主題は第3主題の攻撃的な音楽により一気に打ち消されます。
展開部を経て、再現部では第3主題は再現されずにコーダに入ります。

最後は第1楽章第1主題の中で作品の幕は閉じます。

「交響曲第4番(ロマンティック)」の名盤

カラヤン指揮ベルリンフィルによるブルックナーの交響曲全集です。
1975年から1981年までの6年に渡り録音されています。
美しい流れる様な音楽はもちろん、お手頃な値段でブルックナーの交響曲全集が揃えられるのも魅力的です。

ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908年4月5日-1989年7月16日)
オーストリアの指揮者

1955年から1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務める。
ウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督も務めるなど、歴史上最も偉大な指揮者の一人である。
日本には11度も来日しており、日本人には小澤征爾が師事したことでも知られている。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)
世界を代表するオーケストラの一つで、日本において絶大な人気を誇る。
重厚なドイツ的サウンドを奏でながらも、バラエティに富んだプログラムを演奏し常に世界の最先端をリードしている。

その他の録音

その他の「交響曲第4番(ロマンティック)」の録音も紹介したいと思います。

ベーム&ウィーン・フィル

bohm
1974年度にレコード・アカデミー大賞を受賞したベームとウィーン・フィルによる演奏です。
説明不要の名指揮者ですが、ベームはウィーン国立歌劇場総監督を2度務めておりウィーン・フィルと厚い信頼関係にありました。

練習が余り好きでないウィーン・フィルから反感を買うほど、ベームはリハーサルをきっちりと行ったそうです。
1971年~2016年まで半世紀近くウィーンフィルのコンサートマスターを務めたライナー・キュッヒルは、冗談交じりでベームのことを「天皇のように怖かった」と語っています。

ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデン

dresden
シュターツカペレ・ドレスデンは世界で最も歴史のあるオーケストラの一つで、近年ではザルツブルクのイースター音楽祭をベルリンフィルから引き継いだことでも話題となりました。
こちらは1981年にブロムシュテットのい指揮で録音されたものです。

数あるブルックナーの「交響曲第4番(ロマンティック)」の中でも名盤として親しまれています。

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