フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn/1809年~1847年)の「フィンガルの洞窟」は、1830年に作曲されました。

Mendelssohn

正式なタイトルは「Die Hebriden(ヘブリディーズ諸島)」ですが、日本では「フィンガルの洞窟」の名で親しまれています。
フィンガルの洞窟とはスコットランドの北西沖に広がるヘブリディーズ諸島のスタファ島(無人島)にある洞窟のことです。
ですので、どちらのタイトルもそう遠く離れてはいないといったところでしょうか。
当時のパート譜には「Die Hebriden(ヘブリディーズ諸島)」と書いてありましたが、総譜には「フィンガルの洞窟」と書いてあったそうで、そのためにどちらの呼び名もあるようです。

ここではメンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」の解説と名盤を紹介したいと思います。

イングランド、スコットランドへの旅行

1829年、メンデルスゾーンは20歳の時に誕生日を祝ってもらうためにイングランドへ招待されました。
イングランドに滞在したのち、続いて訪れたのがスコットランドでした。
メンデルスゾーンの交響曲第3番にはスコットランドという副題が付いていますが、これはこのスコットランド滞在中に作曲を思いついたことによるものです。
ホリールードハウス宮殿の側で「交響曲第3番(スコットランド)」の序奏部分の16小節分を書き上げましたが、完成には10年以上かかり、書きあがったのは1842年のことでした。

観光スポット「フィンガルの洞窟」

そしてスコットランド滞在中にメンデルスゾーンが訪れたのが、観光の人気スポットでもある「フィンガルの洞窟」でした。

Fingal-Cave2

「フィンガルの洞窟」はウォルター・スコット(Walter Scott/1771年~1832年)の小説やウィリアム・ターナー(William Turner/1775年~1851年)の絵画でも見ることが出来ます。
古代フィンガル族の戦いを物語ったオシアン伝説のゆかりの地として有名で、またその独特な形が特別な場所である印象をいかにも与えてくれます。
また当時は今ほど交通の便も発達していませんでしたので、「フィンガルの洞窟」はより一層神秘的な秘境だったのかもしれません。

Fingal-Cave1

メンデルスゾーンも感銘を受けたようで「フィンガルの洞窟」の序曲の主題(21小節)をすぐに書き、姉へ手紙と共に送りました。
ヴィオラ・チェロ・ファゴットで演奏される第1主題がそれに当たります。
完成までに何度も改訂がおこなわれましたが、この冒頭部分は書き替えられず、全体の中心部分として構成されています。
また元々のタイトルは「孤島(Die einsame Insel)」でしたが、1832年に 「ヘブリディーズ諸島(Die Hebriden)」へと書き替えられました。
初演は1832年5月14日にロンドンで、彼の代表作である「夏の夜の夢(1826年)」と共に演奏されました。
メンデルスゾーンが訪れたのが嵐の夜だったとも言われており、嵐の様子や嵐による海の荒れ模様が見事に表現されています。

メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」の名盤

メンデルスゾーン「交響曲第3番(スコットランド)」「交響曲第4番(イタリア)」がメインで、それに合わせて「フィンガルの洞窟」も収録されています。
カラヤン指揮、ベルリン・フィルによる演奏で1971年にベルリン、イエス・キリスト教会で録音されたものです。

スタンダードとは少し違うかもしれませんが、ロマンティックで濃厚な演奏が堪能できます。

ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908年4月5日-1989年7月16日)
オーストリアの指揮者

1955年から1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務める。
ウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督も務めるなど、歴史上最も偉大な指揮者の一人である。
日本には11度も来日しており、日本人には小澤征爾が師事したことでも知られている。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)
世界を代表するオーケストラの一つで、日本において絶大な人気を誇る。
重厚なドイツ的サウンドを奏でながらも、バラエティに富んだプログラムを演奏し常に世界の最先端をリードしている。

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