グスタフ・マーラー(Gustav Mahler/1860年~1911年)の「交響曲第7番」は、1904年から1905年にかけて作曲されました。

日本では「夜の歌」の愛称で親しまれていますが、マーラー自身はこのような副題は付けていません。
ただ曲全体をみると、第2楽章と第4楽章に「Nachtmusik」という題名が与えられています。
日本語にするとNacht=夜、musik=音楽という意味で、日本では「夜曲」と呼ばれています。

また7番の終楽章はベートーヴェン等に見られる交響曲に対するパロディだという説もありますが、これには意見が別れています。

7番は馴染みにくいこともありマーラーの交響曲の中では決して人気の高い作品とは言えませんが、近年では少しずつ取り上げられるようにもなってきました。
ここではマーラー「交響曲第7番(夜の歌)」の解説と名盤を紹介したいと思います。

マーラー「交響曲第7番(夜の歌)」の演奏


指揮:レナード・バーンスタイン (Leonard Bernstein/1918年-1990年)
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(Wiener Philharmoniker)

[01:10]第1楽章:Langsam - Allego risoluto
[22:31]第2楽章:Nachtmusik, Allegro moderato
[39:12]第3楽章:Scherzo (Schattenschaft)
[49:15]第4楽章:Nachtmusic, Andante amoroso
[64:01]第5楽章:Rondo - Finale, Allegro ordinario

声楽を使わない交響曲

マーラーは第2番から第4番までの交響曲には声楽を使用しました。
これらの3作は角笛交響曲と呼ばれています。

その一方で、5番から7番までは声楽を使わずに交響曲を書き上げました。
そういう意味では「第7番」は5番から7番までの集大成と言えるかもしれません。

mahler

一気に書き上げられた

7番の第2、第4楽章(夜曲)は1904年の夏、交響曲第6番の作曲と同時期に書かれました。
そして翌年1905年の夏に残りの部分は一気に書き上げられました。
そのため「夜曲」と「それ以外」が別の時期に一度に書き上げられたことから、7番の作品自体に一貫したテーマは設けられていないと解釈されることもあります。

 第2楽章と第4楽章にのみ「夜の歌」と記されている。
第2、4楽章を作曲した翌年、湖でボートに乗っているときに第1楽章の序奏を思いつき、4週間で残りの第1、3、5楽章は一気に作曲された。

作曲自体は1905年に完成しましたが、初演はその3年後の1908年9月19日にプラハでマーラー自身の指揮によりチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏でおこなわれました。
このときは多くの音楽家たちがマーラーの初演を聴くためにプラハを訪れたそうです。

作品自体が聴きやすいものでないことからもわかるように初演は大成功とは言えず酷評されることもありましたが、次第にマーラーの隠れた名作としてファンの間では親しまれていくことになります。

私生活が充実していた頃の作品

また交響曲第7番を作曲した時期は私生活が充実していた頃の作品でもあります。

マーラーは37歳の1897年の頃にウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任し、ウィーンフィルの指揮者としても活動し始めます。
ただ聴衆やマスコミとの関係が悪化し、1901年にウィーンフィルの指揮者は辞任してしまいます。

音楽的にはストレスを感じることもあったかもしれませんが、それを癒してくれるであろう家族の存在がこの頃にはありました。
1902年にアルマ・シントラーと結婚し、同年に長女マリア・アンナが誕生しました。
そして翌年の1903年には次女アンナ・ユスティーネも誕生し、この年にオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から第三等鉄十字勲章も授与されています。
この家族の誕生からしばらくして書かれた作品の1つが交響曲第7番でした。

指揮者として多忙だったマーラー

マーラーはウィーンにおいて指揮者としてとても評価されており、多忙な日々を送っていました。
それは「第7番」作曲時に限ったことではありません。

作曲活動は主に夏の休暇中にオーストリア南部のヴェルター湖畔のマイアーニックの山荘でおこなわれました。
この地では交響曲第5番から第8番までが作曲され、「リュッケルトの詩による五つの歌曲集」「亡き子をしのぶ歌」も書かれました。
ちなみにこの山荘は今でも遺っています。

マーラー「交響曲第7番(夜の歌)」の名盤

マーラーの「交響曲第7番(夜の歌)」は、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(クレンペラー指揮)やシカゴ交響楽団(アバド指揮)もありますが日本のオーケストラもCDをリリースしています。
2014年4月より都響桂冠指揮者を務めているエリアフ・インバルと東京都交響楽団による演奏です。
2013年11月8日横浜・みなとみらいホール、11月9日東京劇術劇場での録音で、演奏はもちろん、録音状態も良好です。

エリアフ・インバル(Eliahu Inbal, 1936年2月16日 - )
イスラエルの指揮者
マーラーの交響曲を得意とし、全集も録音している。

1974年:フランクフルト放送交響楽団(現hr交響楽団)の音楽監督に就任。同オーケストラの評価を高めた。
2001年:ベルリン交響楽団(現ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)の音楽監督を務める(2006年まで)
2009年:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任(2012年まで)
日本では東京都交響楽団の他にも読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、NHK交響楽団でも客演

東京都交響楽団(Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra)
日本のオーケストラの御三家の一つ。
インバルとは、マーラーの交響曲の連続全曲演奏会を2度もおこなっている。

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