項目データ
作曲年1785年
演奏時間30分

モーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」(KV.467)は1785年に作曲された作品で、数あるモーツァルトのピアノの協奏曲の中でも特に人気の高い作品です。
明るく美しい音楽が流れ、思わず口ずさみたくなるようなメロディが印象的です。

スウェーデン映画「みじかくも美しく燃え(1967年)」やアメリカ映画「スーパーマン リターンズ(2006年)」で使われていることでも有名です。
さらにクラシック界に留まらず、ニール・ダイアモンド(Neil Diamond)が1972年にリリースした「ソング・サング・ブルー(Song Sung Blue)」はビルボードで1位に輝きました。(※21番の第2楽章を使用)

ここではそんなモーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」の解説と名盤を紹介したいと思います。

モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番」の演奏

[00:45]第1楽章:Allegro ハ長調 4/4拍子 協奏ソナタ形式
[14:35]第2楽章:Andante ヘ長調 2/2拍子 三部形式
[21:32]第3楽章:Allegro vivace assai ハ長調 2/4拍子 展開部のないソナタ形式

ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini, 1942年- )
指揮:リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti, 1941年- )
スカラ座フィルハーモニー管弦楽団(Filarmonica della Scala)

フリーの音楽家となったモーツァルト

1781年の25歳の頃にモーツァルトはザルツブルク大司教のヒエロニュムス・コロレドと衝突し解雇されてしまいます。
その後ザルツブルクを出てそのままウィーンに定住しはじめます。
これまで宮廷に仕えて給料を貰っていたモーツァルトでしたが、これ以降モーツァルトはウィーンでフリーの音楽家となります。
そしてこの頃は、創作意欲の盛んな時期で多くの傑作が生まれた時期でもありました。
「ピアノ協奏曲第21番」もその中の一つでした。

他にも「ピアノソナタ第11番トルコ行進曲付き(1783年)」「フィガロの結婚(1786年)」「アイネ・クライネ・ナハトムジーク(1787年)」などがこの頃に作曲されています。

演奏会が収入源

フリーの音楽家であったモーツァルトの大きな収入源は、裕福な貴族や社交界を相手に演奏会を開くことでした。
この21番は、「ピアノ協奏曲第20番」のわすか1カ月後にモーツァルト自身の演奏会のために作られたものです。
モーツァルトは素晴らしいピアニストでもありましたので、もちろんピアノはモーツァルト自身が演奏しました。

この頃多忙を極めていたモーツァルトは本番前日にこの作品を完成させ、演奏会は1785年の3月10日にウィーンのブルグ劇場でおこなわれました。
演奏会では低音を強調するために特注の大型のフォルテピアノペダルが使われたそうです。

モーツァルトも満足した作品?

モーツァルトは父への手紙にこの作品のことを以下のように書いています。

・難しくも簡単でもない
・華やかで自然な音楽
・玄人も素人も満足させる音楽

短期間で仕事の受注として書かれた作品ですが、もしかするとモーツァルト自身にとってもこれは傑作だったのかもしれません。

曲の構成

全部で30分程度の演奏時間で、3楽章で構成されています。

第1楽章:Allegro

行進曲風の第1主題が穏やかなユニゾンで始まり、次第に音楽のスケールが増していきます。
木管楽器の柔らかい演奏のあとに独奏ピアノが登場し、ピアノも第1主題を演奏します。

やがて一度音楽は短調に変わりますが、これは交響曲40番を彷彿させます。
ちなみにこの短調のメロディは、この1度しか登場しません。
※交響曲40番はこの2年後に作曲が完成します。

長調に戻ると、続いてピアノが第2主題を奏でます。
第1主題のリズムでの堂々とした演奏がなされたのちに、展開部へと入ります。
展開部は短調ですが悲観性は余り感じさせず、再現部で第1主題、第2主題が再現され、木管楽器が美しいメロディを奏でピアノが引き継ぎます。

カデンツァが入り、最後は冒頭のリズムに戻り第1楽章は静かに終わります。

第2楽章:Andante

第2楽章は、モーツァルトの数ある傑作の中でも屈指の美しいメロディで始まります。
後ろで刻まれている3連符が、この第2楽章の世界観を最後まで支え続けます。
そして、この美しい主題はピアノによって引き継がれます。

ちなみに短調の中間部から主題に戻る時に、第2楽章を支える3連符が一瞬だけ途切れます。
再現部を経て短いコーダでひっそりと第2楽章も終わります。

第3楽章:Allegro vivace assai

第2楽章とはガラリと変わって、軽やかで快活な第1主題で始まり、やがてピアノもそれに加わります。
盛り上がりの中で木管楽器が第2主題を奏で、同様にピアノが引き継ぎます。

展開部はなく冒頭に戻り再現がなされた後にカデンツァとなり、ピアノとオーケストラが一体の中勢いよく作品は幕を閉じます。

モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番」の名盤

アルゲリッチがデビューの年である1960年の録音です。
炎のようなピアニスト、アルゲリッチがまだショパン・コンクールで優勝する前の録音で、彼女が19歳の頃の演奏です。
ピアノ・ソナタも入っていますが、「ピアノ協奏曲第21番」だけでも必聴の1枚です。

マルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich/1941年6月5日-)
アルゼンチンのブエノスアイレス出身のピアニスト
1957年:ブゾーニ国際コンクール、ジュネーヴ国際コンクールで優勝
1965年:ショパン国際コンクールを満場一致で優勝、マズルカ賞
日本にも度々訪れ、大分県別府市の音楽祭の音楽監督も務めている

その他の録音

モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番」のその他の録音も紹介したいと思います。

フリードリヒ・グルダ

gulda
オーストリアの名ピアニスト、フリードリヒ・グルダによるモーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」です。
1974年の録音で、アバド指揮でウィーン・フィルの演奏によるものです。

グルダはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン等のクラシックピアノの名手としてはもちろんのこと、ジャズの分野でも活躍したピアニストでもありました。
妻が日本人であったことから、親日家だったとも言われています。

内田光子

uchida
日本人ピアニストからも1枚紹介したいと思います。
内田光子さんは幼少期は日本で過ごしましたが、12歳で渡欧し多くを海外で過ごしました。
そして元々評価の高いピアニストではありましたが、1984年の小澤征爾さん指揮のベルリン・フィル定期演奏会でその名はさらに知れ渡るようになりました。
とても柔らかな演奏で、日本人の心が感じられる気がします。

内田 光子(うちだ みつこ/1948年12月20日-)
1966年:ミュンヘン国際コンクール第2位
1969年:第3回ウィーン・ベートーヴェン国際コンクール第1位
1970年:ショパン・コンクール第2位(現在も日本人最高位)
1987年:サントリー音楽賞受賞
2008年:ベルリン・フィルハーモニーのレジデント・ピアニストに選出
2009年:大英帝国勲章「デイム」を授与される

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