作品名ヴァイオリン協奏曲第1番
作曲家ニコロ・パガニーニ
作曲年1817-1818年
演奏時間約40分

ニコロ・パガニーニ(Niccolò Paganini/1782年~1840年)のヴァイオリン協奏曲第1番は1817年から1818年頃に作曲された作品です。
また初めて出版されたヴァイオリン協奏曲でもあります。

最近ではパガニーニは2013年の映画「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」で取り上げられたことでも有名です。
パガニーニ役をヴァイオリン界の異端児デイヴィッド・ギャレットが演じたことでも話題になりましたね。
映画でパガニーニはとても異質なキャラクターで描かれていますが、残されたエピソードから想像すると、もしかすると実際もそのような型にはまらない天才的な人物だったのかもしれません。

超絶技巧はもちろん聴きどころですが、イタリア人らしい明るい音楽も印象的です。
ここでは、パガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」の解説と名盤を紹介したいと思います。

パガニーニ「ヴァイオリン協奏曲第1番」の演奏

ヴァイオリン:庄司 紗矢香(1983年1月30日-)

管弦楽:RAI国立交響楽団(Orchestra Sinfonica Nazionale della RAI)イタリア・トリノが本拠地のオーケストラ
指揮:ロベルト・アバド(Roberto Abbado/1954年12月30日-)イタリアの指揮者

第1楽章:Allegro maestoso-Tempo giusto
第2楽章:Adagio espressivo
第3楽章:Rondo Allegro spiritoso-Un poco più presto

パガニーニの協奏曲は難曲ばかり

パガニーニの協奏曲は全部で6つありますが、そのすべてはいずれも難曲として知られています。
ヴァイオリンの超絶技巧奏者であったパガニーニが自分自身で演奏するために作曲したのですからそれは当然のことだと言えます。

悪魔に魂を売ったパガニーニ

幼いころからヴァイオリンを弾き始めたパガニーニは13歳のころには既にテクニックは成熟していたと言われています。
その頃から、パガニーニはヴァイオリンの新たな可能性を模索し、新しい技法で演奏することをはじめます。

それによって手にした名人芸が散りばめられているのがパガニーニのヴァイオリン協奏曲なのです。
余りに衝撃的で刺激的な演奏から、「パガニーニのテクニックは、悪魔に魂を売って手に入れたものだ」と噂されました。
その悪魔と噂されたパガニーニの演奏を十字を切りながら聴くものもいたと言われています。
また悪魔の噂が原因で、パガニーニの死後、彼を埋葬してくれる墓地は中々見つからなかったそうです。
「パガニーニは悪魔に魂を売った」という噂を信じてしまうほど、彼の演奏は衝撃的だったのかもしれません。

パガニーニの超絶技巧については、ヴァイオリンの弦がG弦以外すべて切れてしまったときにG弦のみで驚がく的な演奏したというエピソードが残っています。
しかしこれは一説によるとパガニーニが意図的にG弦以外を切り、パフォーマンスとしておこなっていたとも言われています。

テクニックの流出を恐れたパガニーニ

パガニーニはこの自分しかできないテクニックの流出を防ぐために、楽譜の出版には消極的でした。
そのため出版はおろか協奏曲のオーケストラ用の楽譜まで自分で持ち歩き、ギリギリまでオーケストラの演奏者に渡さなかったそうです。
またコンサート終了後には、直ちにすべての楽譜を回収したと言われています。

paganini

また現代の音楽業界とは違い、パガニーニの生きた時代は著作権などの音楽家を守る法律はありませんでした。
そのためパガニーニの音楽を聴いてそれを勝手に楽譜におこし、無許可で販売するものもいました。
そういう理由もあって、パガニーニはリハーサルでも演奏をすることを嫌がり、コンサートの本番でしか極力演奏しなっかったそうです。

パガニーニのヴァイオリン協奏曲の管弦楽はシンプルであることでも有名ですが、その理由として2つが考えられています。
一つはパガニーニの演奏を際立たせるため、そしてもう一つはギリギリまで楽譜を渡さなかったため凝った演奏をすることが難しかったという理由です。

数少ない出版作品

そんな中、このヴァイオリン協奏曲第1番と第2番は、当時出版された数少ないパガニーニの作品でありました。
そういうこともあり、このヴァイオリン協奏曲第1番は現代でも広く演奏される作品となりました。

博打好きでお金にうるさい

またそんなパガニーニですが、博打好きでお金にうるさかったそうです。
博打に大負けしたことで、お金のなくなったパガニーニが自分自身のヴァイオリンをお金の代わりに渡したエピソードが残っています。

また同時にお金が大好きだったようで、自らのコンサートのチケット代を釣り上げたり、コンサートの偽チケットの取り締まりも自らでおこなったりしたそうです。

パガニーニ「ヴァイオリン協奏曲第1番」の名盤

こちらはカントロフによるパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番が収録されています。
超絶技巧の名演奏はもちろん、録音状態も良いですよ。
1990年4月26-27日にサン=ジュネス・シャンパネル協会会館で録音されたものです。

ジャン=ジャック・カントロフ(Jean-Jacques Kantorow/1945年10月3日-)
1962年:カール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクール 第1位
1964年:第11回パガニーニ国際コンクール 第1位
パリ管の首席コンサート・マスターを務めた後、オーヴェルニュ室内管、タピオラ室内管の音楽監督を務める
指揮者としても活躍

その他の録音

ヒラリー・ハーン

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アメリカのヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンの「ヴァイオリン協奏曲第1番」です。
彼女とスウェーデン放送交響楽団を指揮するのは大植英次です。

シュポアのヴァイオリン協奏曲第8番イ短調『劇唱の形式で』も収録されています。

ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn/1979年11月27日-)
13才で名門フィラデルフィア管と共演、15才でロリン・マゼール指揮のバイエルン放送響と共演するなど若くから注目され続けているヴァイオリニストです。
2001年にはタイム誌の「America's Best」の一人に選ばれ、同年にグラミー賞も獲得しました。

ヘンリク・シェリング

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20世紀の巨匠ヘンリク・シェリングの「ヴァイオリン協奏曲第1番」です。
サー・アレグサンダー・ギブソン(指揮)、ロンドン交響楽団による1975年ロンドンでの録音です。

ヘンリク・シェリング(Henryk Szeryng/1918年9月22日-1988年3月3日)
1918年ポーランドの生まれのヴァイオリニストです。
10歳でベルリンに移り、1933年にデビューしました。
第2次世界大戦中は、ポーランド難民移住計画交渉の外交官としてメキシコに渡り、連合国軍のために慰問演奏もおこないました。
1950年代半ばから国際舞台での演奏活動を再開し、ニューヨークのデビューで評価がさらに高まります。
格調高い音楽で多くの録音を残し、バッハの無伴奏曲の演奏は特によく知られています。

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