アメリカの作曲家である、ジョージ・ガーシュウィンが「ラプソディ・イン・ブルー」を作曲したのは1924年のことでした。
編曲はファーディ・グローフェがおこないました。
ガーシュインのオーケストラ作品の代表作品としてだけでなく、アメリカの芸術音楽の代表的作品といえるでしょう。
印象的な冒頭部分は、仕事でボストンに行くときに乗った列車の音をヒントとしたそうです。

元々は、「アメリカン・ラプソディ」という曲名の予定でしたが、兄の提案により「ラプソディ・イン・ブルー」となりました。
ブルーは「ブルース調の」という意味もあります。
青いラプソディと言うよりは、ジャズの要素を取り込んだラプソディだと捉えればわかりやすいかと思います。

ここではガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」の解説と名盤の紹介をしたいと思います。

ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏

ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(Royal Philharmonic Orchestra)
ピアノ:クリストファー・オライリー(Christopher O'Riley)
指揮:バリー・ワーズワース(Barry Wordsworth, 1948年 - )

ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」の解説

「ラプソディ・イン・ブルー」はニューヨークのエオリアンホールでの、「近代音楽の実験」というコンサートのために1924年に作曲され初演されました。

アメリカン・コメディのような作曲依頼方法

「ラプソディ・イン・ブルー」の作曲は、アメリカのポピュラー指揮者であり音楽監督でもあったポール・ホワイトマンが依頼しました。
しかし、この依頼は少々強引なやり方でした。

まずホワイトマンは新聞の記事に「ホワイトマンがガーシュウィンに作曲を依頼した」というウソの記事を流します。
ガーシュウィンは当然聞いていないので、ホワイトマンのもとへ抗議へ行きます。
ホワイトマンは「記事になったから作曲してくれ」と押し通し、ガーシュウィンは作曲することになったそうです。
先に記事にした理由を、「許可を得てから記事を載せてたら、先にライバルにガーシュウィンをとられてしまうから」と語ったそうです。
まさにアメリカのドラマのようなストーリーですね。

ホワイトマンは当時は低俗だとも言われていたジャズを自身の楽団に積極的に取り入れ、オーケストラとの融合を試みていました。
そういうホワイトマンだったからこそ、ガーシュウィンの音楽をより魅力的に感じたのかもしれません。

2週間で作曲

ガーシュウィンは「ラプソディ・イン・ブルー」を2週間で書き上げました。
短期間で作曲する必要があったため、編曲は依頼人ホワイトマンの楽団のピアニスト兼編曲者であったファーディ・グローフェが担当しました。
これはガーシュウィンがオーケストレーションに精通していなかったことも理由にあると言われています。
それまでガーシュウィンは管弦楽曲を作曲した経験がありませんでした。

皆さんもご存知の通り、ヨーロッパのクラシック音楽とアメリカのジャズが見事に溶け合った作品に完成し、「シンフォニック・ジャズ」の代表的作品として世界的名声を得ました。
この曲の成功により、ポピュラー音楽の作曲家としてだけではなく、クラシック音楽の作曲家としても認められるようになります。

初演までにピアノの譜面は完成せず、本番はガーシュウィンがアドリブで演奏しました。
また、冒頭の有名なクラリネットのソロは、クラリネット奏者が休憩中にふざけて演奏したものを採用したそうです。
初演は見事大成功に終わったそうです。
クラシックでありながら、まさに「ジャズ」の作品ですね。

その後ガーシュウィンは独学でオーケストレーションを学び、管弦楽作品やオペラ作品も作曲しました。
オペラ「ポーギーとベス」の中で歌われる「サマータイム」は様々なシーンで今でも歌われている名曲の一つです。

ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」の名盤

ガーシュウィンと共通項の多いレナード・バーンスタイン指揮よる名演です。
バーンスタインもアメリカ人で、クラシックだけではなく様々なジャンルの音楽に精通していました。

晩年の録音も残されていますが、こちらの録音は活き活きとした若さ溢れる音楽が魅力的です。

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