ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky/1840年~1893年)の交響曲第6番は1893年に作曲された交響曲で、「悲愴」という副題が付いています。
そしてこの曲は彼にとっての最後の交響曲でもあります。

この「悲愴」という副題はチャイコフスキー自身によって名付けられました。
ちなみに日本語副題は「悲愴」ですが、副題のпатетическая(パテティーチェスカヤ)をそのまま日本語訳すると「熱情的・感動させる」といった意味になります。
「悲愴と情熱的では意味が全く違うのではないか」という意見もありますが、チャイコフスキー自身が副題のпатетическаяのことをフランス語では「悲愴」を意味するPathétiqueという単語を使用していることから、「悲愴」というタイトルも間違いではないとされています。

日本では映画「のだめカンタービレ 最終楽章前編」でも流れたことで、クラシックファン以外からもスポットを浴びました。

ここではそんなチャイコフスキー「交響曲第6番 (悲愴)」の解説や名盤を紹介したいと思います。

チャイコフスキーの精神状態を表したもの

チャイコフスキーは人生の中で12回ものうつ病期がありました。
交響曲第6番 (悲愴)はチャイコフスキーのそのような精神状態を表したものではないかとも言われています。

ミューレンダールというドイツの精神科医が精神を患っている患者にこの「悲愴」を聴かせたところ、内因性うつ病患者の症状が悪化した例が見られたそうです。
他の曲を聴いてもそうならなかった患者が「悲愴」を聴くと反応したことは何とも不思議な話です。

チャイコフスキー自身はこの「悲愴」を人生について書いたとは語っていますが具体的には語っておらず、曲が表現する具体的内容については今だわかっておりません。

Tchaikovsky

短期間で書き上げ、この世を去った

この「悲愴」はかなりの短期間で書き上げられました。
1893年2月に作曲が開始され、その年の10月にはチャイコフスキー自身の指揮によって初演されました。
初演は思ったような反応を得ることはできず、残念な結果に終わってしまいます。
しかしチャイコフスキー自身はこの悲愴を彼自身の作品の中でも最高の傑作だと感じており、その自信は揺るがなかったとも言われています。

そして初演のわずか9日後に、チャイコフスキーはコレラや肺水腫が原因で帰らぬ人となってしまいます。
チャイコフスキーの死後に追悼コンサートが開かれ、この「悲愴」はそこでも演奏されました。
演奏が終了すると観客は涙しすぐに席を立つものはあらわれなかったそうです。

様々な憶測が流れるチャイコフスキーの死

今ではチャイコフスキーの死因はコレラや肺水腫が定説となっていますが、彼の性格ゆえに様々な仮説が流れました。

その一つが砒素服毒による自殺説です。
チャイコフスキーは同性愛者だったのではと言われています。
当時のロシアはキリスト教倫理や道徳的な禁忌が強い国でした。
同性愛が発覚すれば、市民権もはく奪されシベリアへ流刑となるほどの罪とされました。
チャイコフスキーはこの同性愛が露見するのを恐れたために、自ら命を絶ったのではないかとも言われています。

ただこれは当時のカルテなどから検証した結果、ほぼ嘘とみて間違いないとされています。

曲の構成

作品全体の演奏時間は45分程度で、4楽章で構成されています。

第1楽章 Adagio–Allegro non troppo (ロ短調)–Andante (二長調-ロ長調)

コントラバスの上にファゴットが乗ったドッシリとした序奏で作品は始まります。
この第1主題がヴィオラとチェロに引き継がれ、管楽器と弦楽器が主題を渡しあいます。

テンポがアレグロに変わったところで弦楽器が印象的なリズムをメロディにのせて奏で、やがて音楽は激しさを増します。
そして音楽が落ちついたところで、弦楽器が第2主題を演奏します。
この美しい第2主題は、多くの音楽ファンがうっとりとするシーンです。
第2主題が繰り返され、音楽は次第に小さくなり最後のファゴットではppppppの表記が登場します。

ppppppの後に、展開部は突然のffで始まり、激しく情熱的な音楽が演奏されます。
第1主題を中心とし、さらに第2主題も加わって、音圧が次第に高まっていきます。
静寂を挟んだ後に音楽は再び盛り上がり、音楽は一度クライマックスを迎えトロンボーンが激しく鳴ります。
そして最後は穏やかな音楽の中で第1楽章は終わります。

第2楽章 Allegro con grazia (ニ長調–ロ短調–ニ長調)

2拍+3拍で構成されるロシア風の5拍子のワルツが流れます。
舞曲ではありますが「悲愴」のタイトルが感じられるような、悲しげな印象を持ちます。
ロ短調に移調してからは音楽はさらに重たくなり、重たい音楽が流れます。
主部が再現された後に、最後は消えてなくなるように第2楽章は終わります。

第3楽章 Allegro molto vivace (ト長調–ホ長調–ト長調)

「交響曲第6番 (悲愴)」は全体を通して暗い雰囲気に覆われていますが、この第3楽章はきらびやかな雰囲気に包まれています。
章の終わりも1.2.4楽章が静かに終わる中、第3楽章だけがクライマックスの中で盛大に終わりを迎えます。
音楽はスケルツォと行進曲からできています。

第4楽章 Adagio lamentoso (ロ短調)–Andante (ニ長調)

悲しみに満ちたヴァイオリンの主題ではじまりますが、この主題は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが交互に演奏しています。
この主題が繰り返され、悲壮感がさらに加わる盛り上がりをみせ、テンポはアンダンテへと変わります。

クライマックスが激しく劇的に演奏された後に、重苦しい雰囲気の中で消えるように作品全体は幕を閉じます。

チャイコフスキー「交響曲第6番 (悲愴)」の名盤

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アマゾンプライム会員の方は何と無料で聴くことができます。
一昔前では考えられない世の中になりましたね。

お得に名演が手に入りますので、初めての1枚としてもオススメです。

ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908年4月5日-1989年7月16日)
オーストリアの指揮者

1955年から1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務める。
ウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督も務めるなど、歴史上最も偉大な指揮者の一人である。
日本には11度も来日しており、日本人には小澤征爾が師事したことでも知られている。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)
世界を代表するオーケストラの一つで、日本において絶大な人気を誇る。
重厚なドイツ的サウンドを奏でながらも、バラエティに富んだプログラムを演奏し常に世界の最先端をリードしている。

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