項目データ
作曲年1781年11月
演奏時間20分程度

モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」は、1781年11月に作曲されたと現在のところ考えられています。

「のだめカンタービレ」で、のだめと千秋が一緒に弾いたことで記憶している方もいるかもしれません。
モーツァルトは「2台のピアノのためのソナタ」はいくつか作曲しましたが、ほとんど未完で終わっています。
この作品は、モーツァルトが完成させた「2台のピアノのためのソナタ」の唯一のものです。

ここではモーツァルト「2台のピアノのためのソナタ」の解説と名盤を紹介したいと思います。

モーツァルト「2台のピアノのためのソナタ」の演奏

[00:05]第1楽章:Allegro con spirito ニ長調 4分の4拍子 ソナタ形式
[08:23]第2楽章:Andante ト長調 4分の3拍子 ソナタ形式
[17:55]第3楽章:Molto allegro ニ長調 4分の2拍子 ロンド形式

ウィーンに引っ越したばかりの頃の作品

1781年3月、25歳のモーツァルトはザルツブルクの大司教と決別します。
そしてウィーンでフリーの音楽家として活動を始めます。
「2台のピアノのためのソナタ」は1781年11月に作曲されたと言われていますので、丁度ウィーンに定住を決意した頃の作品ということになります。
同年(1781年)には、オペラ「イドメネオ」、「きらきら星変奏曲」などの傑作も生まれています。

モーツァルトは作曲の他にも、レッスンをするなどして生計をたてました。

弟子と一緒に弾くために作曲した

「2台のピアノのためのソナタ」は、モーツァルトの弟子ヨーゼファ・バルバラ・アウエルンハンマーと二人で弾くために作曲されたと考えられています。
アウエルンハンマーは女性で、弟子の中でも優秀なピアニストでした。
彼女はモーツァルトに恋愛感情を持っていたとも言われています。

初演は1781年11月23日にウィーンの彼女の自宅で演奏され、「2台のピアノのための協奏曲」も一緒に演奏されました。
聴衆の反応は上々で、その後翌年の1月と5月にも彼女とモーツァルトは共同で演奏会をおこなっています。

 モーツァルトが別の弟子(バルバラ・フォン・プロイヤー)とこの作品を演奏した記録も残っています。(1784年6月13日)
この弟子も女性で、モーツァルトはこの女性のために「ピアノ協奏曲第14番」「ピアノ協奏曲第17番」を作曲しました。

モーツァルトの愛弟子だったアウエルンハンマー

モーツァルトはアウエルンハンマーの才能を高く買っており、彼のお気に入りの弟子でした。
モーツァルトは多忙にもかかわらず、彼女に毎日2時間ものレッスンをしたそうです。
また彼女の父親が亡くなったときには、モーツァルトは彼女の引き取り先を探してあげたりもしました。

ちなみにアウエルンハンマーがモーツァルトに恋心を持っていたと言われていますが、モーツァルトにはその気はなかったそうです。

モーツァルト「2台のピアノのためのソナタ」の名盤

ペライア&ルプー

モーツァルトの演奏に定評があるマレイ・ペライアとルーマニア出身の名ピアニスト、ラドゥ・ルプーによる共演です。

【収録曲】
・モーツァルト:2台のピアノのためのソナタ ニ長調K.448
・モーツァルト:幻想曲ヘ短調 K.608
・モーツァルト:4手のためのアンダンテと5つの変奏曲ト長調K.501
・シューベルト:幻想曲へ短調 D.970, Op.103

【演奏者】
マレイ・ペライア(Murray Perahia,1947年4月19日 - )
アメリカのピアニスト、指揮者
1972年:リーズ国際ピアノ・コンクールでアメリカ人として初めて優勝する
1981年:オールドバラ音楽祭の共同芸術監督に就任(1989年まで)
1975年:自身の弾き振りでイギリス室内管弦楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲全曲録音を開始(9年の歳月をかけ完成)
1985年:ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲録音をする

ラドゥ・ルプ(Radu Lupu、1945年11月30日)
ルーマニア出身のピアニスト

1966年:ヴァン・クライバーン国際コンクール優勝
1967年:エネスコ国際コンクール優勝
1969年:リーズ国際ピアノ・コンクール優勝
1972年:アメリカデビュー
1978年:ザルツブルク音楽祭に出演

【録音】:1984年6月(サフォーク)、1990年6月(ロンドン)

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