シューマンの「交響曲第2番」は、1846年に作曲が完成されました。
精神的生涯に悩まされたシューマンは、教授の職を辞しライプツィヒからドレスデンへ移り住みます。
そしてドレスデンで1年ほどの時間をかけて「第2番」は作曲されました。
「第2番」とありますが、シューマンにとって3番目の交響曲で、彼が精神的障害と闘いながらそれを乗り越えて完成させた作品です。
ここではシューマン「交響曲第2番」の解説と名盤を紹介したいと思います。
シューマン「交響曲第2番」の演奏
バイエルン放送交響楽団(指揮:バーンスタイン)
[00:00]第1楽章:Sostenuto assai – Allegro ma non troppo
[12:26]第2楽章 Scherzo. Allegro vivace
[19:20]第3楽章 Adagio espressivo
[32:46]第4楽章 Allegro molto vivace
「第1番」から4年後の作曲開始
シューマンは1841年に立て続けに2曲の交響曲(「第1番(春)」「第4番」)を作曲します。
「交響曲第2番」はその4年後の1845年に作曲が開始されました。
シューマンの交響曲は短期間で書きあげられていますが、この「第3番」は長い期間を必要としました。
それはシューマンが病気と闘いながら作曲活動をしていたことにあります。
ライプツィヒからドレスデンへ
シューマン夫妻が暮らすライプツィヒは、当時音楽で栄えた街でした。
その中心的存在が友人でもあったメンデルスゾーンでした。
メンデルスゾーンは1843年にライプツィヒ音楽院を創設し、そこでシューマンは教授として迎えられます。
しかしこの頃には既にシューマンは精神的な障害に悩まされていました。
1842年-1843年の期間はほとんど作曲活動ができない状態にまで陥っていました。
そこでシューマンはせっかくの教授の職も辞し、翌年(1844年)静養の意味もかねてドレスデンへ引っ越します。
精神的障害と戦いながら書いた作品
「交響曲第2番」はこのドレスデンで、1845年末から1年ほどかけて作曲されました。
ドレスデンに移り体調の良い時期もありましたが、精神的障害には悩まされ続けました。
途中では、幻覚や耳鳴りなどの影響で作曲ができない時期もあったそうです。
その苦労を重ねて作曲されたのが「交響曲第2番」なのです。
精神的苦しみと、それを克服した力強さが反映されているのが「第2番」なのかもしれません。
シューマンはドレスデン時代(1844年-1850年)に多くの作品を生み出し、それは彼の全作品の約3分の1を占めました。
友人メンデルスゾーン指揮で初演
初演は1846年11月5日に友人メンデルスゾーンの指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏でおこなわれました。
成功とは言えない初演でしたが、幾分か改訂して臨んだ同年11月16日での2回目の演奏では成功を収めたそうです。
曲の構成
第1楽章:Sostenuto assai - Allegro ma non troppo
ハ長調
序奏での金管によるppの動機は、各楽章を通して現れる。
これが「運命動機」に似ていることから、「第2番はシューマンの<運命>だ」と評されたこともある。
華やかさの中にも、シューマンの精神的苦痛の叫びが隠れているのを感じさせる。
第2楽章 Scherzo. Allegro vivace
ハ長調
2つのトリオを持っている。
弦楽器が16音符を攻め立てて奏でるなど、慌ただしさが印象的である。
途中第2トリオで一度音楽は落ち着きを見せる。
第3楽章 Adagio espressivo
ハ短調
シューマンはドレスデンに移ってからバッハの研究をしている。
第3楽章はその研究の影響を受けていると言われている。
第4楽章 Allegro molto vivace
ハ長調
自由な形式で書かれており、短い音楽がいくつも奏でられる。
ベートーヴェンの歌曲集「遥かなる恋人に寄す」からの引用も登場する。
最後はティンパニの連打の後に、ハ長調の和音で輝しく終わる。
シューマン「交響曲第2番」の名盤
パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルパーヴォ・ヤルヴィはシューマン交響曲全集録音に取り組みました。
これはその中からの録音で、「交響曲第2番」の他に4つの序曲が収録されています。
(「マンフレッド」序曲、「ヘルマンとドロテア」序曲、「メッシーナの花嫁」序曲、歌劇「ゲノフェーファ」序曲)
※2011年、2012年録音
「シューマン愛」を公言しているヤルヴィは、シューマンの演奏を「作品にある感情の起伏や途方もないエネルギーを恥ずかしがらずに出さなければ、シューマンの本当の魅力が伝わらない」と語っています。
パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Järvi, 1962年12月30日 - )
エストニア出身、アメリカ国籍の指揮者
ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ニューヨーク・フィル等、世界の主要オーケストラに客演しており、世界で引っ張りだこの指揮者の一人である。
N響、都響など日本のオケとも共演しており、2015年にはN響の初代首席指揮者にも就任した。
ドイツ・カンマーフィルとはベートーヴェン交響曲全曲(2006年-2009年)も録音している。
ドイツ・カンマーフィルハーモニー(ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団)
ドイツ・ブレーメンに本拠を置く室内オーケストラ
2004年にパーヴォ・ヤルヴィが芸術監督に就任してから国際的に評価を高めている。
レパートリーをバロックから現代音楽まで拡大しているが、その中心はベートーヴェンの交響曲である。
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