作品名 O sole mio
作曲家 エドゥアルド・ディ・カプア
作詞 ジョヴァンニ・カプッロ

「O sole mio(オー・ソレ・ミオ)」~おぉ私の太陽~はエドゥアルド・ディ・カプア(Eduardo Di Capua,1865年~1917年)によって作曲、ジョヴァンニ・カプッロ(Giovanni Capurro,1859年~1920年)によって作詞されたカンツォーネ(canzone)です。

 「カンツォーネ(canzone)」とはイタリア語で「歌」という意味ですが、日本では「民謡」というイメージが強く、特にイタリアのナポリ地方の民謡のことを「カンツォーネ(canzone)」と呼んでいます。
「オー・ソレ・ミオ」「サンタ・ルチア」「帰れソレントへ」などは日本でも良く知られたカンツォーネです。

ここでは、ナポリ民謡の「O sole mio(オー・ソーレ・ミオ)」の対訳や解説を紹介したいと思います。
それぞれの単語の意味も掲載していますので参考にしてください。

言葉はナポリ語で書かれています。
ナポリ語のルーツは、イタリア語と同じです。
しかしナポリ語に馴染みのない場合は、イタリア人であっても理解できないそうです。

不自然な場合もありますが、歌詞と日本語訳は可能な範囲で行が対応するように訳しています。

専門家の日本語訳ではありませんので、参考程度にご覧ください。
※再生される音声ソフトは多少不自然な場合があります。

「O sole mio(オー・ソーレ・ミオ)」の名演

3大テノール(パヴァロッティ・ドミンゴ・カレーラス)

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「O sole mio(オー・ソーレ・ミオ)」の原文歌詞1

Che bella cosa na jurnata 'e sole,
n'aria serena doppo na tempesta
Pe' ll'aria fresca pare già na festa
Che bella cosa na jurnata 'e sole

[歌詞の発音] ※2行ごとに発音しています。

「O sole mio(オー・ソーレ・ミオ)」の対訳1

なんと美しいことだろう 晴れた日は
嵐の後の澄み切った空気
新鮮な空気によって もはや祭日のように思われる
なんと美しいことだろう 晴れた日は

単語の意味

ナポリ語 意味
che なんと
bella 美しい
cosa
na 不定冠詞(英:a)
jurnata 1日
'e ~の
sole 太陽
n'aria 不定冠詞+空気
serena 澄み切った
doppo ~の後
tempesta
Pe' ~によって
ll'aria 定冠詞+空気
fresca 新鮮な
pare ~のように思われる
già もはや
festa 祭日

「O sole mio(オー・ソーレ・ミオ)」の原文歌詞2

Ma n'atu sole,
cchiù bello, oje ne',
'o sole mio,
sta nfronte a te!

[歌詞の発音]

「O sole mio(オー・ソーレ・ミオ)」の対訳2

しかしもう一つの太陽は
もっと綺麗だ、これ以上ないほどに
おぉ私の太陽
それは君の顔の中にある!

単語の意味

ナポリ語 意味
ma しかし
n'atu 他の
cchiu` もっと
ne' (英:not)
'o おぉ
mio 私の
sta ある
'nfronte 顔に
a ~の
te

「O sole mio(オー・ソーレ・ミオ)」の原文歌詞3

Quanno fa notte e 'o sole se ne scenne,
me vene quase 'na malincunia;
sotto 'a fenesta toia restarria
quanno fa notte e 'o sole se ne scenne.

「O sole mio(オー・ソーレ・ミオ)」の対訳3

夜が来て、太陽が沈む時、、
まるで憂鬱が私にやってくるようだ。
私は君の窓の下に留まるだろう
夜が来て、太陽が沈む時

単語の意味

ナポリ語 意味
quanno ~の時
fa なる
notte
e そして
se ne scenne 沈む
me 私に
vene 来る
quase ほとんど、まるで
malincunia 憂鬱
sotto ~のしたに
'a 定冠詞
fenesta
toia 君の
restarria 留まる

「O sole mio(オー・ソーレ・ミオ)」のをカタカナの歌詞で

アマチュアの愛好家の方にとってはカタカナの方が便利なこともあると思います。
カタカナ表記でもこちらに記載しておきます。

ケ ベッラ コーザ ナ ユルナータ エ ソーレ
ナーリア セレーナ ドッポ ナ テンペースタ
ペッラーリア フレースカ パーレ ジャ ナ フェースタ
ケ ベッラ コーザ ナ ユルナータ エ ソーレ

マ ナトゥ ソーレ
キウ ベッロ オイ ネ
オ ソーレ ミーオ
スタ ンフロンテ ア テ

クワンノ ファ ノッテ エ オ ソーレ セ ネ シェンネ
メ ヴェーネ クアゼ ナ マリンクニーア
ソット ア フェネスタ トイア レスタッリア
クワンノ ファ ノッテ エ オ ソーレ セ ネ シェンネ

「O sole mio(オー・ソーレ・ミオ)」のイタリア語

「O sole mio(オー・ソーレ・ミオ)」の原文歌詞はナポリ弁で書かれています。
イタリア語からしたら日本語で言うと東北弁のようなものです。
イタリア語に直したものも載せておきます。

Che bella cosa è una giornata di sole,
Un'aria serena dopo una tempesta!
Per l'aria fresca pare già una festa.
Che bella cosa è una giornata di sole!

Ma un'altro sole
Più bello, non c'è,
o sole mio
Sta in fronte a te!
o sole, il sole mio
Sta in fronte a te,
Sta in fronte a te!

Quando fa notte ed il sole scende,
Mi viene quasi una malinconia;
Sotto la finestra tua resterei
Quando fa notte ed il sole scende.

作曲家エドゥアルド・ディ・カプアについて

エドゥアルド・ディ・カプア(Eduardo Di Capua/1865年-1917年)は、イタリア・ナポリ出身の作曲家・歌手です。

イタリアで同時代に活躍した作曲家としては
ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini/1858年-1924年)
ピエトロ・マスカーニ(Pietro Mascagni/1863年-1945年)
などが挙げられます。

 他国の同時代の作曲家は
クロード・ドビュッシー(Claude Debussy/1862年-1918年/フランス)
リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss/1864年-1949年/ドイツ)
ジャン・シベリウス(Jean Sibelius/1865年-1957年/フィンランド)
などが挙げられます。

ヴァイオリニストの父とヨーロッパを周る

エドゥアルド・ディ・カプアは1865年にナポリで生まれ、その後地元のサンピエトロ音楽院で学びます。
しかしヴァイオリニストの父のヨーロッパツアーに同行した関係で、音楽院での勉強は最後まで続けられませんでした。

この外遊中に彼は音楽の作曲を始めたと言われています。

ギャンブルは不幸な生活と、至福の音楽を生みだした

またエドゥアルド・ディ・カプアはギャンブル好きだったことで知られています。
それが原因で彼は経済的に困窮した生活を送ることになりました。

しかし、一方でギャンブルで素晴らしい出会いがありました。
それは詩人ヴィンチェンツォ・ルッソ(Vincenzo Russo/1876年–1904年)との出会いです。
このコンビで彼らは「A serenata d' 'e rose」「I' te vurria vasà」「Torna Maggio」「Chitarrata」「Maria Mari」などの作品を生みだしました。

オーソレミオは最大のヒット曲

そんな中、詩人ジョヴァンニ・カプッロ(Giovanni Capurro/1859年–1920年)と共作した「オーソレミオ」は彼にとっての最大のヒット曲になりました。
ウクライナの都市オデッサに旅行した時に、この有名なメロディーが浮かんだと言われています。
「オーソレミオ」はナポリの音楽コンクールに応募されましたが、残念ながら優勝することができませんでした。

しかし曲の噂が広まり、徐々に人気を獲得していくことになります。

 ジョヴァンニ・カプッロの本業はジャーナリスト・新聞社の記者でした。
 曲のモデルは「ニーナ」というニックネームの女優アンナ・マリア・ヴィニャティ・マッツァで、地元ナポリの美女コンテストで優勝した女性だそうです。

しかしこのヒット曲をもってしても、エドゥアルド・ディ・カプアの生活は豊かにはなりませんでした。
彼は生活に苦しんだまま1917年にナポリで亡くなりました。