4-9.バロック時代のヴァイオリン音楽

ヴァイオリン音楽ではビタリ、コレッリ、トレルリなどの作曲家が現れました。
彼らは教会ソナタ、室内ソナタ、独奏ソナタなどの形式の曲を多く書きました。

そしてその後、ビバルディやタルティーニが登場します。

彼らの残した音楽は後の古典主義の音楽に多くの影響を与えることになります。

教会ソナタ

Arcangelo Corelli

Arcangelo Corelli

1643年に優れたオルガン奏者であったフレスコバルディが亡くなってから、イタリアの教会ではオルガンよりも管弦楽や室内楽が演奏されるようになりました。
編成はトリオソナタやそれに近い小さい編成が主で、ここに教会ソナタが誕生しました。
ここでも、もちろん通奏低音は使われています。

この教会ソナタはヴァイオリン奏者としても有名であるヴィターリによって形作られました。
それにより教会ソナタは4楽章か5楽章からなり、緩と急を交互に用いたものでした。

そしてそれを大成させたのが、同じくヴァイオリン奏者でもあるアルカンジェロ・コレッリ(Arcangelo Corelli,1653年-1713年)です。
ヴィヴァルディより25年、バッハやヘンデルより32年前に生まれた音楽家です。
コレッリはローマで活躍し、ヴァイオリン奏者だけではなく作曲家としても活躍しました。
和声的な技法と対位法を融合させ、第1楽章は和製的に作曲し、アレグロの第2楽章はフーガ的に書かれました。

コレッリの作品の特徴は、美しい旋律とそれに丁寧に調和した伴奏パートです。
その作風から、コレッリは対位法の厳格な規則から縛られずに音楽を作ったと言われています。

コレッリの音楽はヴィラチーニやトレルリに受け継がれ、他にもドイツやイギリスにも影響を与えました。

室内ソナタ

17世紀には教会ソナタと同様に室内ソナタも演奏されました。
室内ソナタは宮廷や貴族のサロンのために演奏されたソナタです。

舞曲を組み合わせたものが多く演奏されました。
教会ソナタと室内ソナタははっきりとした区別なく、イタリアでは教会ソナタの中に室内ソナタの舞曲が取り入れられるようになりました。

ヴァイオリン音楽

コレッリらに続く作曲家としては、アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi,1678年-1741年)やジュゼッペ・タルティーニ(Giuseppe Tartini,1692年-1770年)が挙げられます。

ヴィヴァルディは四季を含む12曲のヴァイオリン協奏曲を残しました。

タルティーニは「悪魔のトリル」を含む80曲ものヴァイオリン独奏曲を残しました。
悪魔のトリルは、高度な技術をいくつも要求され、とても難易度の高い曲としても知られています。
この曲は「自分が寝ているベッドの足元で悪魔がヴァイオリンを弾いている夢」を見たことから書かれた曲だとも言われています。
タルティーニの作品は、ほぼ全てがヴァイオリン協奏曲とヴァイオリンソナタで占められています。
また音楽理論家としても有名です。


Violin Sonata in G minor ("Devil's Trill") - Giuseppe Tartini

これらの作品によって運指方や運弓法が発達し、ヴァイオリンの技巧性もより進歩しました。
ヴィヴァルディについては、バロック音楽の重要人物ですので別項でもう少し詳しく書こうと思います。

ドイツのテレマン

Georg Philipp Telemann

Georg Philipp Telemann

この時代のドイツではヴァイオリンは独奏用よりも合奏用として用いられました。
代表的な作曲家としてはゲオルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann,1681年-1767年)が挙げられます。
テレマンはバッハと同時期に活躍し、生前はバッハを凌ぐほどの名声を誇っていました。

ライプツィヒなどの教会の楽長を務めた後に、ハンブルグの音楽監督に就任してアマチュアの演奏団体を作ったり、指揮活動をしたり幅広い活動をしました。

バッハと違い、とてもわかりやすい作風なのが特徴です。
作曲数がとても多く、45曲のオペラと46曲の受難曲、1000曲以上の管弦楽組曲を作曲しました。
クラシック音楽史上もっとも多くの曲を作った作曲家として知られています。
86歳と長生きをしたため、晩年はハイドンの青年時代などとも重なり多くの時代を渡り歩いてきた作曲家だとも言えます。

バッハほど評価はされてはいませんが、ターフェルムジークは現在でもよく知られています。


TELEMANN ."Tafelmusik" Quartet in D minor