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3-3.ヴェネツィア楽派とローマ楽派(ルネサンス後期の音楽)

ヴィラールトとヴェネツィア楽派

ネーデルランド出身の音楽家たちは、フランドル楽派以降もヨーロッパ各地で新しい音楽を作り上げました。

その中でもフランドル出身の作曲家アドリアン・ヴィラールト(Adrian Willaert,1490年頃-1562年)はフランドル楽派の末期の様式を示しながら、一方で新しい様式も加えた作品を出してヴェネツィア楽派を生み出しました。
ヴィラールトはパリで音楽を学び、フェララやミラノの宮廷の勤務を経てヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長になりました。
ヴィラールトはルネサンス時代の中でも最も優れた作曲家の一人であり、ほとんどすべての音楽様式で作曲をし作品を残しました。

Adrian Willaert

Adrian Willaert

ヴィラールトはサン・マルコ大聖堂で多くの弟子たちを育て、弟子やその後継者の活動も含めてヴェネツィア楽派と呼ばれています。

ヴェネツィア楽派はルネサンス後期に属します。
ヴェネツィア楽派の音楽の特徴は二重合唱にあります。
聖堂の両側に合唱はそれぞれ配置され、今でゆうステレオ効果を生み出しました。

San-Marco

サン・マルコ大聖堂

ヴィラールトの後には、アンドレーア・ガブリエーリ(Andrea Gabrieli, 1510年頃-1586年頃)、その甥のジョヴァンニ・ガブリエーリ(Giovanni Gabrieli, 1554年or1557年-1612年)、チプリアーノ・デ・ローレ(Cypriano de Rore,生誕不明-1565年)によってヴェネツィア楽派は最盛期を迎えます。

特に2人のガブリエーリはヴェネツィア派の複合唱の作曲技法をイタリアやドイツに広めたことで知られています。

この音楽がいずれ17世紀になって、モンテヴェルディに受け継がれて行くのです。

パレストリーナとローマ楽派

ヴェネツィア楽派が栄えていた同じ時期に、ローマでは別の様式の音楽が生まれました。
ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, 1525年?-1594)を中心としたローマ楽派です。
ローマ楽派は、教会音楽を中心に芸術的なポリフォニー音楽を作りました。

Giovanni Pierluigi da Palestrina

Giovanni Pierluigi da Palestrina

パレストリーナはローマ近くの村で生まれ、ローマのサン・ピエトロ教会や教皇庁で勤めた後にサン・ピエトロの楽長をしました。
パレストリーナはローマの伝統を受け継ぐと同時に、フランドル楽派の影響も受けました。
そしてそれを発展させて崇高な音楽を作り出しました。
その中でも最も重要なものは教会音楽で、カトリックの宗教曲を多く残し「教会音楽の父」とも呼ばれています。

パレストリーナは100曲ほどのミサ曲を書いており、いずれも傑作と評価されています。
その中でも、「教皇マルチェリのミサ」「インプロペリア」「スターバト・マーテル」は有名です。
彼のミサ曲は、後にヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach,1685年-1750年)も魅了しました。

また、パレストリーナの音楽はパレストリーナ様式とも呼ばれます。
その特徴は、4声部から8声部の無伴奏合唱で、大胆な試みを排し、主観性や対比を強調しない崇高で単純な音楽であることです。

当時は、イタリアでもルネサンスの音楽はフランドルが中心でした。
ローマ教皇庁の音楽隊にもフランドルの音楽家を招いていたころからもそのことが推測できます。
その中で、パレストリーナはイタリア人音楽家として名声を手に入れたのです。

パレストリーナの後のローマの教会の音楽家たちも、パレストリーナの音楽を尊重し受け継いでいきました。
パレストリーナの門弟としては、ナニーニやアネーリオがよく知られています。