1-1.古代文明→古代ギリシャの音楽

音楽の起源

楽譜がなかった時代の音楽の詳細は現在のところよくわかっていません。
音楽がいつ、どこで、どのように誕生したのかは謎のままです。

しかし研究者たちによると、音楽は現在のように娯楽のためではなく人間の生活の一部として存在していたと考えられています。

その中でも音楽の始まりは、「物を叩く」「手拍子」「足踏み」などの打楽器系のリズムによるものだとされています。
その後、音には高低差があると気づき簡単な楽器が作られたと推測されます。

用途としては、狩猟や戦いなどで士気を高めたり、祈りの際に用いられたのが始まりでした。

sicily

古代の音楽

古代における文明は、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明の世界四大文明が有名です。
中学校の社会でも習いましたね。

エジプト文明などの壁画を見るとハープ・横笛・リュートなどが描かれています。
音楽が重要な役割を果たしていたことがわかる重要な資料です。
紀元前14世紀の壁画に楽器の絵が残されています。
今から約3500年前の話です。
あまりに昔過ぎて想像もつきませんね。

当時の宮廷では儀式や饗宴の場で音楽は用いられました。
また庶民の間では、音楽は狩猟や農耕、冠婚葬祭、宗教に結びついて演奏されていました。

古代ギリシャの音楽

古代ギリシャの文化的発達は紀元前1000年頃からでした。
そして紀元前7世紀から紀元前4世紀にかけて特に発展しました。
エジプトで紀元前14世紀に楽器が描かれているのと比べると、文化的発達は遅れていたと言えます。

しかしその分、古代の文明を吸収し、それを発展させることができました。
様々な音楽を吸収し芸術に発展させていったのがギリシャなのです。
これがやがて中世のヨーロッパに伝わることになります。

ギリシャの音楽はこれまでの音楽と違って、詩や劇、歴史などと組み合わさって作り出されました。
演劇はギリシャ悲劇に代表されます。
ギリシャの音楽では既に独唱や合唱も存在しました。
ただしそれらは簡単な旋律だけだったと考えられています。
また、合唱もいわゆる「ハモり」はなくユニゾンのものだけだったと考えられています。

また数本の弦をもつ楽器による伴奏もありましたが、現在の伴奏とは異なります。
和音はなく単旋律のものでした。
しかも歌のメロディーとほとんど同じ音程を弾いていたと想像されます。

劇と音楽の組み合わせと聞いて、皆さんは何を想像するでしょうか。
皆さんのお考えの通り、これが17世紀のオペラに繋がっていくわけです。

cithara
これは当時の楽器でキタラといいます。
これがギターへと繋がっていきます。

ギリシャの音楽理論

ギリシャ人は音楽理論においても貢献をしています。
その中でも最も特徴的なものは音階についてです。

ギリシャ人の旋律の基礎は4音音階でした。
それは、完全4度の間に二つの音を挿入したギリシャ旋法です。
これは、正確な音程は表しておらず「節回し」を示したものでした。

紀元前7世紀頃になると、4音音階からさらに発展します。
4音音階を二つ結合させて、8度の音階を作るようになりました。
この組み合わせ方で、数多くの旋法が生まれます。

どのシーンでどの旋法を使うのかはエトス論によって決められました。
エトス論とは、旋法と人間の道徳性(真面目・感動的・悲しみなど)を結びつけて考えたものです。

学校の数学でピタゴラスの定理を習ったと思います。
ピタゴラスも音楽においてピタゴラス音階というものを生み出しています。
音程を数学的に割り出して作ったそうです。

その後紀元前4世紀にはギリシャはマケドニアによって征服されます。
そしてさらにローマ帝国によって統一されます。

しかしギリシャ人の世界はなくなってしまいますが、ギリシャの文化はローマ帝国へも受け継がれていきます。

古代ローマの音楽

古代ローマは紀元前753年にはじまったと言われています。
そして、紀元前2世紀には既にギリシャを支配下においています。
その後2世紀末まで古代ローマの黄金時代は続きました。

ローマ人は政治や戦争などについてはとても優れていましたが、芸術においてはそうとは言えませんでした。
音楽においては革新的なことはおこなっていません。

ギリシャ人にギリシャの音楽をそのまま演奏させていました。
ローマ人にとっては音楽は見せ物にすぎなかったのです。

ローマ人の唯一の音楽的貢献と言えば、キリスト教を認めたことでしょうか。
音楽はキリスト教と結びつき発展していきます。
そういう意味では、ギリシャ人は次の世代へ音楽の橋渡しをしてくれたのです。