カンタータ
モノディーの形式としてはカンタータも見逃せません。
17世紀初めにはカンタータも発達しました。
カンタータは元々は単に声楽曲を指していましたが、後に簡単な伴奏を持つ独唱・重唱・合唱を指すようになりました。
典型的なカンタータとしては、17世紀後半のイタリアで生まれたレチタティーヴォとアリアからなる独唱と通奏低音のための歌曲が挙げられます。
またカンタータは室内カンタータと教会カンタータに分けることができます。
室内カンタータ
カンタータの最初の作品の一つには、1629年までに4冊出されたグランディの「独唱用カンタータおよびアリア」があります。
カンタータは初めのうちは初期のオペラの様式に似ており、レチタティーヴォ様式に従っていました。
しかし後に、レチタティーヴォとアリオーソに分かれて、これらが一つの曲で交互に歌われるようになりました。
これらはローマで作られ、その代表的な作曲家としてロッシ、チェスティ、ジャコモ・カリッシミ(Giacomo Carissimi,1605年-1674年)が挙げられます。
これらの室内カンタータを成熟させた代表的人物はナポリのアレッサンドロ・スカルラッティです。
スカルラッティはオペラの作曲家としても大変有名ですが、多くのカンタータも作りました。
教会カンタータ
教会カンタータはモテトから発展したもので、初めは聖書から歌詞をとっていました。
後に室内カンタータの形も取り入れ、合唱なども加わる大きな形式も見られるようになりました。
教会カンタータはプロテスタントの教会で演奏され、主にドイツで発達しました。
オラトリオ
モノディーの作品の中で、オラトリオも重要です。
オラトリオは古くからの宗教劇をもとに作られました。
初めの頃のオラトリオは、グレゴリオ聖歌やマドリガーレのようなものでした。
オラトリオの発展に貢献した人物としてネリは忘れることはできません。
ネリはローマの教会での聖書講演での気分転換や説明のために音楽を使いました。
そしてその音楽が人気となり、その価値を認められ、1575年にグレゴリウス13世よりその集会がオラトリオ集会として正式に認可されました。
この集会で演奏された劇に次第にモノディー様式も採用されるようになり、音楽のオラトリオが誕生したのです。
オラトリオの起源はカヴァリエーリの「霊魂と肉体の劇」だと言われています。
そして本当の意味での最初のオラトリオは、1619年のジョヴァンニ・アネーリオによる「宗教的調和劇」だと言われています。
実際にオラトリオという名前が使われだしたのは、1640年代に入ってからのことです。
レチタティーヴォやアリオーソの対話も入り本当の意味での新しいオラトリオの作品として挙げられるのものに、ローマのカリッシミの作品があります。
カリッシミは「イェフタ」「ソロモンの裁判」などの作品を残しました。
カリッシミは教師としても有名で、ドイツやフランスにまで影響を与えました。
オラトリオは初めはイタリア語で歌われていましたが、後にラテン語でも歌われるようになりました。
また初めの頃はオペラと同様に演技もありましたが、教会の信者からの反対により演奏会形式のものに変わっていきました。