4-4.モンテヴェルディ

オペラが民衆に広まる

フィレンツェで生まれた新しい音楽はモンテヴェルディによってさらに発展します。
後期ルネサンスの音楽からバロック音楽への移行を成し遂げるのにモンテヴェルディは重要な役割を果たしました。

モンテヴェルディはクレモナの出身でマントヴァ公国の宮廷楽長を務めたのちに、1613年にヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長に就任しました。
このヴェネツィアいた1637年にモンテヴェルディは民衆のための初めての常設劇場であるサン・カッシアーノ劇場を作りました。
これによりオペラが貴族のものだけでなく、民衆のものにもなってくるのです。

オペラが陳腐化する

teatro

オペラは次第に民衆の中でも人気が出てきます。
当時13万人の人口のヴェネツィアの中に16ものオペラの劇場が建てられました。

オペラが民衆よりになった結果、「陳腐なストーリーで、豪華なセットの中で歌手が表面的技巧で客を喜ばせる」ようなものにオペラは変わっていきます。
物語は恋愛ものが多くなり、作曲者は当時人気のあったカストラートやプリマ・ドンナのわがままに左右されるようになりました。
オペラの芸術性が落ちていくわけです。

モンテヴェルディの芸術的なオペラ

Claudio Monteverdi

Claudio Monteverdi

しかしそのような中でも、モンテヴェルディは芸術的なオペラをいくつも作り出しました。

モンテヴェルディはオペラを芸術的な方向へと進めていきます。
1607年に初演された「オルフェオ」では、音楽に劇的な力を加えました。
「オルフェオ」は謝肉祭の祝祭としてマントヴァ公の命を受けての作曲されたものでした。
ここでは、フィレンツェのレチタティーヴォ様式を守りながらも、独唱・重唱・合唱を積極的に使っています。
独唱のメロディも、より旋律的に書いています。
また、通奏低音だけでなく弦の役割も重要視しました。
オルフェオは作曲家が各声部への楽器指定をした最初の作品であるとも言われています。

シンプルな音楽劇を歌劇へと変えていったのがモンテヴェルディなのです。

残念なことにヴェネツィア時代のオペラの作品はほとんど現存していません。
しかし現存するものには彼の晩年の作品である「ウリッセの帰還」「ポッペアの戴冠」があります。
どちらも現在でも演奏機会のある芸術的なバロック音楽として知られています。
これらのオペラの中で、モンテヴェルディは劇的な力に加えて性格描写も音楽で表現しています。

特に「ポッペアの戴冠」はモンテヴェルディの最高傑作と評価されています。
ローマ皇帝であるネロに題材を得た史劇で、悲劇的・抒情的な場面に加えてコミック的要素もあります。

マドリガーレや宗教音楽も残す

モンテヴェルディと言えばオペラですが、彼はマドリガーレや宗教音楽も作曲しています。

モンテヴェルディは若い頃(1582年と83年)にモテトと宗教マドリガーレを何曲か出版しています。
そして1587年には世俗マドリガーレの最初の曲集を出版したのちにクレモナの外で活動をはじめています。

ヴェネツィアに活動拠点を移してからも、マドリガーレ集の第6、7、8巻が出版しました。
その中でも1638年に出版された第8巻は最大の規模をもち30年間以上にも及んで書かれた曲が集まっています。