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モノディーとカメラータ
イタリアのフィレンツェは音楽においてのルネサンス様式の最後の基点であり、バロック様式の出発点でもありました。
16世紀末のフィレンツェには音楽愛好家の貴族がおり、彼らが芸術家を集めていました。
この集団をカメラータと呼びます。
カメラータは古代ギリシャ悲劇を研究し、音楽に劇的表現を求め、新しい音楽を生み出そうとしました。
そして、従来のポリフォニーの方法では各声部の旋律が重なり言葉の美しさが損なわれることに疑問を持ち、言葉を伝えることを重視しました。
その結果、歌詞を明瞭に聞かせるために対位法を捨ててモノディーを作り上げたのです。
モノディーとはレチタティーヴォ風な旋律の上にシンプルな和声的な伴奏をつけた様式です。
モノディーでは、歌詞を重視するため言葉のアクセントや韻が重視されました。
詩の内容や言葉のリズムが音楽より優位にたっているとも捉えられます。
このカメラータのメンバーには、天文学者ガリレオ・ガリレイの父親のヴィンチェンツォ・ガリレイ(Vincenzo Galilei,1520年頃-1591年)、作曲家ジュリオ・カッチーニ(Giulio Caccini,1545年頃-1618年)がいました。
そして彼らが初めてモノディーを用いて曲を作りました。
ガリレイの音楽は現存していませんが、1601年のカッチーニによる「新しい音楽」(マドリガーレや単声と通奏低音のための音楽などの曲集)はモノディーの現存する最古の作品として残されています。
オペラまでの道のり
オペラはバロック時代に誕生するわけですが、それまでの道のりを少し振り返ってみます。
音楽と劇を結びつけることは、古くは古代ギリシャの時代におこなわれていました。
中世でも典礼劇として教会でおこなわれていました。
イタリアでは、13世紀には宗教劇と声楽を結んだマッジや神聖劇が誕生しており、15世紀から16世紀にかけてそれらは隆盛を迎えました。
その中でも15世紀末にイタリアで誕生したインテルメッツォはオペラに近いものでした。
インテルメッツォは神話を題材としており、貴族のために宮廷などで演奏されました。
フランスやイギリスなどのヨーロッパ各国でも音楽と劇の組み合わせは見られましたが、それが積極的におこなわれたのはやはりイタリアでした。
オペラの誕生
モノディーが生まれたもので最も重要なものはオペラです。
フィレンツェのカメラータがそれに貢献しています。
最初の作品として1594年もしくは1597年のヤコポ・ペーリ(Jacopo Peri,1561-1633年)作曲、リヌッチーニ台本によるダフネがあります。
しかし、これは残念ながら台本しか現存していません。
現存している最古のオペラとしては、1600年の同じくペーリ作曲、リヌッチーニ台本によるエウリディーチェがあります。
また、同年、同じ台本で、カッチーニ作曲によるエウリディーチェもあります。
当時はこれらはオペラではなく「音楽のための劇(Drama per musica)」と呼ばれていました。
この頃のオペラは、レチタティーヴォをメインとしておりアリアはありませんでした。
アリアがないため現在の私たちが聴くと、緊張感のない言葉による旋律が流れ続けているような印象を受けるかもしれません。
しかし、これらの音楽も後にはレチタティーヴォとアリアに分かれるように発展していきます。