項目 | データ |
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作曲 | 1941年 |
初演 | 1942年3月5日 クイビシェフ(ソ連の臨時首都、現サマーラ) |
演奏時間 | 約75分 |
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich/1906年~1975年)の「交響曲第7番」は1941年に書かれた作品で、戦争をテーマにした交響曲としても知られています。
また「レニングラード」の呼び名で浸透していますが、レニングラードとは当時のソ連の第2の都市で現在のサンクトペテルブルクのことです。
ここではショスタコーヴィチ「交響曲第7番(レニングラード)」の解説と名盤を紹介したいと思います。
ショスタコーヴィチ『交響曲第7番』の演奏
[00:32]第1楽章:Allegretto[29:58]第2楽章:Moderato (poco allegretto)
[41:43]第3楽章:Adagio – Largo – Moderato risoluto – Largo – Adagio
[59:28]第4楽章:Allegro non troppo
マリン・オールソップ(Marin Alsop/1956年-)
アメリカの女性指揮者。2007年からボルティモア交響楽団の音楽監督に就任。
hr交響楽団(hr-Sinfonieorchester/Frankfurt Radio Symphony/フランクフルト放送交響楽団)
戦争の真っただ中の作品
ショスタコーヴィチが「交響曲第7番」の作曲を手掛けていた1941年、ソ連はヒトラー率いるナチス・ドイツとの戦争の真っただ中でした。
この年の6月22日、ドイツが独ソ不可侵条約を破棄してソ連へ侵攻をはじめたのです。
当時ショスタコーヴィチはソ連のレニングラードに住んでいたのですが、1941年9月にレニングラードはドイツ軍によって包囲されてしまいます。
食料や燃料がとざされ生きることもままならない状態でしたが、それでもショスタコーヴィチはレニングラードに留まり作曲を続けました。
そしてこの月(9月)の終わりまでに、第3楽章までを書き上げます。
レニングラードからの疎開
しかしドイツ軍の攻撃はおさまることを知らず、ショスタコーヴィチはレニングラードからの疎開を余儀なくされてしまいます。
「交響曲第7番」はその疎開先であったクイビシェフにて書き上げられました。
レニングラード包囲戦は1944年1月18日まで続き、公式には67万人、一説では100万人以上の市民が死亡したと言われています。
これは第2次世界大戦での日本本土での民間人の戦災死者数の合計をも上回っています。
当時のレニングラードの人口が319万人だったことを考えても、いかに悲惨な出来事だったかがわかります。
初演の成功→反ナチスの象徴へ
初演は1942年3月に疎開先で臨時首都でもあったクイビシェフで、サムイル・サモスード指揮、ボリショイ劇場管弦楽団の演奏でおこなわれました。
その後、ロンドンでの初演に続きアメリカなどでも続々と演奏されるようになりました。
戦争の真っただ中のレニングラードでも演奏され、客席はボロボロの服を着た聴衆でいっぱいになったそうです。
そして「交響曲第7番(レニングラード)」は反ナチスの象徴的な音楽として評価を高めていくことになります。
冷戦により作品は影を潜める
反ナチスの象徴として有名になったこの作品ですが、冷戦を境目に評価は一変します。
冷戦によりソ連への風当たりが強くなるのと同時に、ソ連の音楽であったこの「交響曲第7番(レニングラード)」も非難されるようになったのです。
「ショスタコーヴィチの証言」での復活
芸術作品としての価値を失いかけていた「交響曲第7番(レニングラード)」ですが、1970年代後半に出された「ショスタコーヴィチの証言」によって見直され始めます。
この作品はナチス・ドイツだけではなくソ連体性(スターリン)に対する告発をも表現しているのではないかと考えられるようになったのです。
そうしてこの作品はその価値を再認識されるようになり、現在へといたっています。
第1楽章は「ボレロ」を彷彿させることも!?
余談ですが、第1楽章にボレロを彷彿させる音楽(戦争の主題)があります。
それはショスタコーヴィチ自身も多少なりとも感じていたようです。
ショスタコーヴィチは友人に「ラヴェルの「ボレロ」を真似したと非難されるかもしれないけど、僕には戦争はこのように聞こえるんだ」と言って、この部分を聴かせたそうです。
また第1楽章には「人間の主題」と呼ばれる主題があり、これは第4楽章のクライマックスで再び登場し壮大に奏でられます。
ショスタコーヴィチ「交響曲第7番(レニングラード)」の名盤
バーンスタイン指揮・シカゴ交響楽団演奏によるショスタコーヴィチの「交響曲第7番(レニングラード)」です。美しい音色も堪能できますが、シカゴ響らしい圧倒的な迫力とスケールが魅力の一枚です。
バーンスタインとシカゴ響の数少ない共演作品の一つで、バーンスタインが亡くなるわずか2年前の録音です。
【収録情報】
ショスタコーヴィチ『交響曲第7番』
シカゴ交響楽団、レナード・バーンスタイン(指揮)
録音:1988年6月 シカゴ、オーケストラ・ホール
ショスタコーヴィチ『交響曲第9番』
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、レナード・バーンスタイン(指揮)
録音:1985年 ウィーン、ムジークフェラインザール
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