エドワード・エルガー(Edward Elgar/1857年~1934年)の「チェロ協奏曲」は、1918年に作曲されました。
第一次世界大戦が1914年~1918年ですので、戦争が終わった直後の作品でもあります。

英国紳士と言われれば「スーツ」「口ひげ」「こうもり傘」「山高帽」を想像します。
エルガーの外見は、まさに私たちが想像する英国紳士そのものです。
またイギリス生まれの数少ない大作曲家だとも言えます。

ここではエルガーの「チェロ協奏曲」の解説と名盤を紹介したいと思います。

下積みを経て開花

ナイトのさらに上にあたる準男爵の称号を与えられたエルガーですが、決して恵まれた環境で育ったわけではありませんでいた。
貧しい家庭で育ち、音楽家として活動を始めてからも地元のアマチュア・オーケストラの指揮者やヴァイオリニストとして生計をたてながら、作曲活動をおこなっていました。

エルガーがその名を知られるようになるまでには、彼が40歳ごろまでかかります。

妻がこの世を去る少し前の作品

そんなエルガーは、32歳のときに8歳年上のアリスと結婚します。
身分の隔たりがあり反対を押し切っての結婚でした。
アリスはその後、自らの夢も諦めエルガーのマネージャー・秘書としての役割を果たします。
アリスは「天才の世話をすることは、どんな女性にとっても生涯の仕事として十分なものです」と語っています。
あのエルガーの代表作「愛の挨拶」はアリスに捧げられたものでした。

「チェロ協奏曲」は、そうやって二人三脚で歩んできた妻・アリスが亡くなる少し前に書かれた作品です。
アリスが他界したのちエルガーの創作ペースは衰え、「チェロ協奏曲」は最後の傑作となりました。

初演は失敗に終わった

1918年に作曲された「チェロ協奏曲」は翌年の1919年に初演されました。
エルガー自身の指揮でソリストにフェリクス・サモンドを迎え、ロンドン交響楽団により演奏されましたが、演奏会の評価はいまいちでした。

失敗の原因としては、リハーサルの時間が極端に少なく作品を完成させるまでの時間がとれなかったためと言われています。
またソリストのフェリクス・サモンドは素晴らしいソリストでしたが派手な演奏家ではありませんでした。
派手なヴィルトゥオーゾの演奏を期待した聴衆とのギャップもあったのかもしれません。

徐々に評価を得る

初演は不評だった「チェロ協奏曲」ですが、徐々に正当な評価を得ていきます。
同年にベアトリス・ハリソンがソリストを務めた再演では、まずまずの評価を得ることが出来ました。
ハリソンはエルガー自身が指揮をした「チェロ協奏曲」にも参加しています。

そしてこの人気を不動のものにしたのが、戦後に活躍した女性チェリストのジャクリーヌ・デュプレによる演奏です。
100年に一人と言われたこのイギリス人チェリストの情熱的な演奏によって、エルガーの「チェロ協奏曲」はさらに注目されることとなります。

曲の構成

第1楽章 Adagio - Moderato 4分の4拍子 → 8分の9拍子 ホ短調

短い時間ではありますが、冒頭のチェロからスタートするメロディーが印象的です。
しばらくするとチェロの独奏で8分の9拍子へと移ります。

ホ短調の悲劇的なカデンツァで作品がはじまりますが、このカデンツァが作品全体で重要な役割を果たします。

第2楽章 Lento - Allegro molto 4分の4拍子 ト長調

第1楽章の冒頭でのカデンツァ和音を独奏チェロがピッチカートで演奏します。
第1楽章の雰囲気を持った音楽が、次第に明るく華やかな音楽へと変わっていきます。

第3楽章 Adagio 8分の3拍子 変ロ長調

60小節の短い音楽で、伝統的な歌曲形式を踏襲したアダージョの楽章です。

第4楽章 Allegro - Moderato - Allegro, ma non troppo 4分の2拍子 ホ短調

第4楽章は第1~3楽章の要素がすべて含まれています。
軽やかな音楽が流れた後、テンポの緩やかな音楽へと変わります。
ラストは第1楽章冒頭のチェロ独奏の再現がなされ、壮大な音楽と共に作品が完結します。

エルガー「チェロ協奏曲」の名盤

こちらは文中でも紹介した女性チェリスト、ジャクリーヌ・デュプレによるエルガーの「チェロ協奏曲」です。
1965年録音に録音されたもので、バルビローリ指揮、ロンドン交響楽団演奏によるものです。

キャラクターの強い演奏で様々な意見も出る録音ですが、エルガーの「チェロ協奏曲」を語るには外すことのできない名盤です。

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