「交響曲の父」と呼ばれるフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn/1732年~1809年)にとって、この交響曲第104番は数多くの交響曲の最後の作品です。
彼が63歳のときに作曲しました。(1795年)
この作品はハイドンの集大成と言っても過言ではなく、ハイドンの代表作品として知られています。
またロンドンで作曲した交響曲を総称したロンドン交響曲のうちの1曲もあり、「交響曲第104番」は「ロンドン」の愛称でもよく知られています。

 「ロンドン」の愛称は、19世紀になってから付けられました。

ここではそんなハイドン「交響曲第104番」の解説と名盤を紹介したいと思います。

シンフォニーは「完全な協和の響き」

交響曲はシンフォニーのことを指しますが、シンフォニーとはギリシャ語が語源となっており「完全な協和の響き」という意味を持ちます。

17世紀末のディヴェルティメントやシンフォニアが、18世紀になり4楽章形式の交響曲として発展したわけですが、ハイドンがこの4楽章形式を完成させました。
これがモーツァルトやベートーヴェンへと受け継がれていくことになります。

子供の頃は優れた歌手だった

ハイドンは子供の頃は美声として名をはせていました。
8歳~18歳までウィーンの聖歌隊として働きました。
しかし変声期が来ると同時に解雇されてしまい、その後歌の伴奏などをしながら音楽を学んでいきました。

ハイドンの音楽家としての活動は20代から

18歳まで聖歌隊として活動していたハイドンでしたが、27歳ごろの1759年にはボヘミアのカール・モルツィン伯の宮廷楽長の職にたどりつきました。
そして、1761年に西部ハンガリー有数の大貴族、エステルハージ家の副楽長の職を手に入れ、1766年には楽長に昇進した。
エステルハージ家には1790年まで長い間仕えることになり、ハイドンは人生の多くをここで過ごすことになります。
Haydn

主君の死→第2の人生

1790年、エステルハージ家のニコラウス侯爵が死去したことはハイドンにとって大きな転機となりました。
その後継者アントン・エステルハージ侯爵は音楽に興味がなかったためハイドンを免職にしてしまったのです。
ハイドンが58歳のことでした。

免職=クビのイメージがありますが、ハイドンにとっては悪い話ではありませんでした。
免職になったことでハイドンは「自由」になり、ハイドンはさらに精力的に作曲をすることとなります。

ロンドンは大熱狂

当時ハイドンの名声は既にとどろいており、パリやロンドンでは大人気でした。
そしてハイドンが1791年から1792年、および1794年から1795年の2度にわたって訪れたイギリス訪問は大成功を収めました。

ハイドンがロンドンを訪問するにあたって1791年から1795年にかけて作曲した12曲の交響曲はロンドン交響曲と呼ばれています。
ロンドン交響曲は93番から98番までの第1期(1791年 - 1792年)と99番から104番までの第2期(1793年 - 1795年)にわけられます。
ロンドンを愛しイギリスの市民権を得て移住することも考えていたと言われるハイドンが最後の締めくくりとして作曲したのが交響曲第104番(ロンドン)なのです。

交響曲第104番(ロンドン)のオススメ名盤

アダム・フィッシャー指揮によるオーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団の演奏で、ハイドンの交響曲104曲をすべて聴くことが出来ます。
彼は自らで設立したオーケストラで全交響曲を録音しました。
響きすぎると感じることもあるかもしれませんが音響・音質も悪くなく、演奏も美しい演奏が楽しめます。
ハイドンの交響曲の全てを良心的な価格で揃えられるのも嬉しいポイントですね。

アダム・フィッシャー(Ádám Fischer/1949年9月9日-)
ハンガリーの指揮者。
ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座などで指揮し、オペラ指揮者として名声を得ています。
2007年よりハンガリー国立歌劇場の音楽総監督に就任しています。

日本では2016年のウィーン国立歌劇場「ワルキューレ」での来日公演が記憶に新しいところです。

その他の録音

ミンコフスキのハイドン

10401
マルク・ミンコフスキが自身で結成したバロック・オーケストラ「ルーヴル宮音楽隊」と共に録音したハイドンセットです。
2009年6月にウィーンのコンツェルトハウスで録音されたもので交響曲93~104番までが収録されています。

マルク・ミンコフスキ(Marc Minkowski/1962年10月4日-)
フランスの指揮者。
これまでにシュターツカペレ・ドレスデン、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどへ客演。
日本にも訪れ、日本の音楽ファンも魅了しています。
2017年7月には都響でハイドン「交響曲第102番」を指揮しました。

ヨッフムのハイドン

10402
オイゲン・ヨッフムの指揮で「ロンドン交響曲」+数曲が収録されているアルバムです。
ほとんどがロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、一部にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団の演奏があります。
ヨッフムが残した録音の中でも評価が高い作品集です。

オイゲン・ヨッフム(Eugen Jochum/1902年11月1日-1987年3月26日)
ドイツの指揮者。
バイエルン放送交響楽団の初代の首席指揮者で、当オーケストラの発展に大きく貢献しました。
1961-64年:コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者
1968-73年:バンベルク交響楽団の芸術顧問・首席指揮者
またバイロイト音楽祭にもたびたび出演し、晩年にはそれまで相性の良くなかったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団も指揮するようになります。
生前は度々来日し、素晴らしい音楽を日本のファンに届けました。

その他の曲目一覧(目次)

その他の作品・あらすじ・歌詞対訳などは下記リンクをクリックしてください。

クラシック作品(目次)

オペラ作品(目次)

ミュージカル作品(目次)

歌詞対訳(目次)

ピアノ無料楽譜(目次)