バロック時代のオルガン音楽は、ドイツを中心に栄えました。
17世紀前半のジローラモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi,1583年-1643年)が門下のヨハン・ヤーコプ・フローベルガー(Johann Jakob Froberger,1616年-1667年)に影響を与え、南ドイツに広がっていきました。
フレスコバルディの残した音楽は、後の作曲家たちに大きな影響を与えました。
フレスコバルディのオルガン曲集「音楽の花束」の写譜をバッハが持っていたことは有名な話でもあります。
北ドイツでは、ラインケン、ブクステフーデ、ベームが現れ、中部ドイツではシャイトやクリーガーが現れました。
この後にバッハが登場することになります。
D.スカルラッティとチェンバロ作品
イタリアではフレスコバルディの後にドメニコ・スカルラッティ(Domenico Scarlatti,1685年-1757年)が現れました。
スカルラッティはナポリ派のスカルラッティの子で、10人兄弟の6番目の子として生まれました。
バッハやヘンデルと同い年で、ヘンデルとローマでチェンバロやオルガンの演奏を競いあったという話も残っています。
スカルラッティは555曲ものソナタを書き、イタリアのチェンバロ音楽の様式も確立しました。
スカルラッティのソナタは、古典主義のものとは違い2部構成で1楽章からなっていました。
音楽的にはホモフォニックな表現で作曲されているのが特徴です。
クープランもラモーのチェンバロ作品
フランスのチェンバロ音楽はシャンボニエールにはじまり、クープランが発展させました。
クープランはコレッリの影響を大きく受け、コレッリのトリオ・ソナタ様式をフランス音楽に取り入れました。
フランス音楽の中にイタリアの音楽を融合させたわけです。
またクープランはオルドルと呼ばれる組曲を多く書き、それらのほとんどには標題がつけられていました。
美しい旋律や装飾音、分散和音などを用い、フランスのクラブサン音楽の様式を確立しました。
その後、フランスの音楽はラモーに引き継がれます。
ラモーが1706年と1724年に出版したクラブサン曲集は有名です。
ラモーの音楽はクープランに比べると落ち着いている印象を受けます。
ドイツのチェンバロ作品
ドイツではオルガン音楽と同様にチェンバロ音楽においても、フローベルガーが重要な役割を果たしました。
また、バーデンの宮廷楽長だったフェルディナンド・フィッシャーは平均律によるフーガとプレリュードを作り、バッハがそれを引き継ぐこととなります。
バッハの平均律クラヴィーア曲集のフーガには、フローベルガーの作品からモチーフを借りた部分もあります。
クーナウはドイツでの最初のクラビーアソナタの作曲家として知られています。
クーナウは聖書を題材にした6曲からなる聖書ソナタを書いています。
またクーナウはライプツィヒの教会合唱長であり、その後任にはバッハが就きました。