4-12.バロック音楽の頂点、大バッハ

バロック時代の音楽はバッハとヘンデルで頂点を迎えることになります。

バッハは過去の伝統と新しい様式を融合しました。
そして自由な創造力で対位法的でありながら和製的様式も持ったドイツの音楽を作りました。

作品の数も多く、ジャンルも広くとりあつかっています。

バッハは170cmほどあり、当時の人としてはかなり大柄でした。
頑固で怒りっぽく、自分にも他人にも厳しかったと言われています。
また2人の妻との間に20人もの子をもうけ、そのうちの何人もが音楽家として活躍しました。
また倹約家でお金にうるさかったとも言われています。

音楽一族に生まれる

バッハはドイツ中央部のテューリゲンで生まれました。
バッハ一族は、200年の間に50人以上の音楽家を輩出した家系でした。

バッハは10歳で両親を失い、長兄に引き取られクラビーアを学びます。
その後18歳でワイマールの宮廷楽団のヴァイオリン奏者となり、各地の教会のオルガニストも務めました。

1708年に23歳のときにワイマールの宮廷礼拝堂のオルガニストとなり、数年後にはそこのコンサートマスターとなります。
1717年にはケーテンの宮廷楽長に転じます。
しかし、ケーテン公が音楽の情熱が薄れてきたことに不安を覚えてライプツィヒのトマス教会カントールの地位に移ります。

バッハが眼病で亡くなるまでの27年間はライプツィヒで過ごしました。

Johann Sebastian Bach

Johann Sebastian Bach

バッハのクラビーア作品とオルガン作品

バッハはオルガンとクラビーアの腕も一流でしたので、これらの作品も多く作曲しました。

クラビーア作品

クラビーア作品の中でも最も重要なものが平均律クラビーアです。
これはクラビーアのための24のフーガと、そのそれぞれの前にある前奏曲からなります。
それぞれ別々の24の調整で書かれているのも特徴です。
これにより、音楽の音程の基礎である平均律が世の中に広まったのです。

当時は純正律が好んで使われ、平均律を採用しない作曲家も多くいました。
平均律をバッハが採用したことにより、その後の音楽の作曲が制約を受けずに自由にできるようになりました。
平均律クラビーアは音楽的にも歴史てにも重要な作品であるのです。

その他のクラビーア作品としては、インベンションがピアノ学習者に必須の曲としても有名です。

もちろん今挙げた以外にも多くの素晴らしいクラビーア作品を残しています。

オルガン作品

バッハはケーテン時代以外にはオルガンと密接した生活を送っています。

その中でもコラール前奏曲は150曲以上も残しています。
またコラールを用いず教会に関係のない作品も多く残しました。
それらは、前奏曲・幻想曲・トッカータ・ソナタ・パッサカリアなど多岐に渡ります。

バッハの弦楽器のための曲

バッハは弦楽器のための曲は他に比べると余り多く書いていません。
その中の、ヴァイオリンとクラビーアのためのソナタでは、クラビーアのバスが完全に音符で書かれました。
これは音楽史において重要なことでした。

バッハの協奏曲

バッハの協奏曲はヴィヴァルディを基本としそれをバッハ流に自由に発展させ書かれました。

バッハの協奏曲の中では、ブランデンブルク協奏曲が有名です。

また、バッハは純粋な管弦楽曲をあまり書きませんでした。

バッハの声楽曲

バッハはオペラ以外のほぼすべての声楽作品を残しています。
その中でも教会用のものと宗教的な作品が多く書かれています。

バッハは300曲のカンタータを書いたと言われており、そのうちの200曲ほどが現存しています。
これらの多くはコラールを中心にしており、それに独唱や重唱も加わりました。
また、伴奏は管弦楽が多くを占めています。

形式や楽器の編成に縛られず、自由に多彩な作品を作曲しているのも特徴です。

バッハのオラトリオと受難曲

バッハはオラトリオを3曲残しています。
クリスマス・オラトリオ、復活祭オラトリオ・昇天祭オラトリオです。
これらは内容的にはオラトリオというよりはカンタータの色合いが強くなっています。

バッハの受難曲はヨハネ受難曲とマタイ受難曲が現在では残っています。
劇的で描写的な表現で書かれており、コラールも使われています。
この2曲は現在でもコンサートで良く演奏される人気の曲でもあります。