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15世紀〜16世紀の音楽
15世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパは中世的な封建制度が崩壊し国王による絶対王政へと変化していきます。
この頃の音楽はネーデルランド楽派という言葉で表されます。
ネーデルランド出身の音楽家が活躍したことから、そう呼ばれています。
またネーデルランド楽派は、ブルゴーニュ楽派とその後に続くフランドル楽派に分別されます。
イギリスの音楽家ダンスタブル
ネーデルランド楽派の前にイギリス人のジョン・ダンスタブルを覚えておきましょう。
彼はアルス・ノーヴァを発展させ15世紀のヨーロッパ大陸に大きな影響を与えた人物です。
彼はフランスの音楽を勉強し、それを発展させてフランスへ逆輸出したのです。
高度経済成長期の日本のようですね。
ダンスタブルの作品は、ミサなどの宗教的なものを中心としていました。
ブルゴーニュ楽派
ダンスタブルの新しい音楽を吸収したフランスでは、さらにこの音楽を発展させます。
ブルゴーニュ楽派の登場です。
首都ディジョンの宮廷は文化的水準が高く、そこでギヨーム・デュファイ(Guillaume Dufay,1400年頃-1474年)とジル・バンショワ(Gilles de Binchois,1400年頃-1460年)という重要な作曲家が活躍しました。
二人ともフランドル出身の音楽家です。
デュファイはフランス、イタリア、スイスで歌手やオルガン奏者として活動した後にブルゴーニュの宮廷で10年ほどを過ごしました。
デュファイの音楽はイギリスの音楽に各地の音楽様式を取り入れているのが特徴です。
中世西洋音楽からルネサンス音楽への転換を行なった点で重要な人物です。
「ルネサンス音楽におけるバッハ」とも評価されています。
主にミサなどの宗教曲やフランス語のシャンソンを作曲しました。
バンショワはブルゴーニュの宮廷礼拝堂でデュファイと同じ時期に20年ほど勤めました。
バンショワは宗教曲だけでなくシャンソンやバラードなどの世俗曲も多く残しています。
バンショワの作品は、その後の作曲家たちに作曲の素材として借用されたり引用されたりしています。
そのことから、この時代の最も影響力のあった作曲家であったと考えられます。
フランドル楽派
ブルゴーニュ楽派の音楽を、ネーデルランド出身の音楽家たちは15世紀後半から16世紀末までにさらに発展させます。
それらの彼らの活動はフランドル楽派と呼ばれています。
フランドル楽派の音楽は、対位法的技法が使われ声楽のポリフォニーの全盛期を築きました。
主な作曲家として、ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, 1410年頃-1497年)、ヤーコプ・オブレヒト(Jacob Obrecht, 1457年-1505年)、ジョスカン・デ・プレ(Josquin Des Prez,1450年or1455年-1521年)が挙げられます。
そして、この楽派の最後の巨匠であるオルランド・ディ・ラッソ(Orlando di Lasso,1532年-1594年6月14日)が続きます。
オケゲムの音楽は、対位法の中でバスの動きを自由にして全体を豊かにしているのが特徴です。
フランドル楽派初期の作曲家で、ブルゴーニュ楽派からの橋渡しをした存在です。
資料が少なく、詳細についてまだ解明されていない人物です。
オブレヒトはベルギーのヘント生まれの音楽家です。
イタリアにも何度か滞在した経験からか、明るい曲が多くを占めています。
オブレヒトは、ミサ曲やモテトなどの宗教曲を主に残しましたが、世俗曲や器楽曲も残しました。
その曲の特徴は、15世紀後半における奇抜な対位法様式です。
また、オブレヒトは世俗のシャンソンを作曲の素材として使っていました。
そしてフランドル楽派の最盛期の重要な作曲家がジョスカン・デ・プレです。
ジョスカンは20曲のミサ曲、90曲のモテト、多数のシャンソンを残しました。
当時の作曲技法すべて自由に操っており、現在ではその時代の最も優れた音楽家であったと考えられています。
ジョスカンの作品は対位法を駆使しているのはもちろんのこと、人間味に溢れておりルネサンスの精神を感じることができるのも特徴です。
ラッソ
オルランド・ディ・ラッソ(Orlando di Lasso,1532年-1594年6月14日)はフランドル楽派の最後の巨匠であり、国際的に活躍した音楽家です。
16世紀末のヨーロッパで最も影響力をもつ著名な作曲家でした。
ラッソの名声は音楽界には収まりません。
1570年には神聖ローマ帝国の皇帝から貴族に叙列され、翌年には教皇グレゴリオ13世より教皇庁騎士に叙任され、黄金拍車勲章を授与されました。
作曲家がこのような待遇を与えられたのは、200年後にモーツァルトに与えられただけです。
どれだけ影響力のある人物であったのかが、これだけでも推測できます。
ラッソはフランドル出身ですが、ミュンヘンの宮廷楽長をしながらヨーロッパ中を旅行しました。
その影響か、モテト、マドリガーレ、シャンソンなど多数のジャンルで作品を残しており、言語もラテン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語など様々です。
ラッソは様々な国の音楽様式を自在に操り、独自の様式を確立したのです。