4-6.フランスのオペラ

誇り高いフランス人

17世紀にはフランスにもイタリアのオペラが伝わりました。
自国の芸術性に誇りを持っていたフランス人は、イタリアのオペラを直ちに受け入れはしませんでした。
しかし17世紀後半になると、フランス人の作曲家たちにイタリアのオペラも影響を与えるようになってきました。

フランスのオペラの起源

pastorale

フランスのオペラの起源は古くからは牧歌劇に遡ります。
15世紀からは仮面劇やバレエも宮廷や祭典で上演されるようになりました。
それらは16世紀になるとますます豪華になり、宮廷バレエは少しずつオペラに近づいていきました。

当時の宮廷バレエは、純粋に舞踊だけではなく内容的に歌劇の要素もありました。

ちなみに仮面劇においては、後にリュリ作曲の音楽で、ルイ14世がフランスのヴェルサイユ宮殿でバレエを踊った記録も残されています。

フランスオペラの誕生

フランスの最初のオペラは1659年に上演されたロベール・カンベール(Robert Cambert,1628年-1677年)と詩人ペランによる「牧歌」だとされています。
しかし残念ながら、この楽譜は現存していません。

現存する最古のオペラは、同じくこの2人による「ポモーヌ」です。
ポモーヌは後のリュリに影響を与えたと言われています。

カンベールはリュリの最大のライバルとして知られていました。
それはロンドンでカンベールが亡くなったときに、リュリが刺客を送り込んで暗殺したとの噂まで流れるほどでした。

カンベールはルイ14世の母后アンヌ・ドートリッシュの音楽監督に就任し音楽活動をしますが、やがて権力者の移り変わりなどからフランス宮廷で冷遇を受けるようになります。
そして1673年にフランスを去り、イギリスで音楽活動をはじめます。
イギリスではチャールズ2世の宮廷で歓迎され宮廷楽長を務めました。

Jean-Baptiste [de] Lully'

Jean-Baptiste [de] Lully'

そしてフランスのオペラをフランス的にしたのがジャン=バティスト・リュリ(Jean-Baptiste[de]Lully',1632年-1687年)です。
リュリはフィレンツェ生まれのイタリ人ですが、17世紀半ば頃からパリに移り1662年にフランスに帰化しました。
その後、王室合奏団員として務め、王室楽長にまでなります。
リュリはルイ14世の宮廷楽長および寵臣として、フランス貴族社会権力を持っていました。

リュリは初めの頃は劇作家のモリエールと共にコメディ・バレエを作っていました。
コメディ・バレエとは、その名の通り喜劇とバレエを組み合わせたものです。
しかし1670年にイタリアのオペラから脱却し本格的なフランスのオペラを作りはじめます。

リュリの代表作には「愛の神とバッカスの祭典」「アルミード」などが挙げられます。
リュリの作品の多くは、題材を神話から用いており合唱やバレエを使って華やかな舞台を作り上げました。


Jean-Baptiste Lully - Armide - Passacaille

またリュリ式序曲とも呼ばれるフランスふうの序曲を生み出しました。
これは緩ー急ー緩となっており、スカルラッティの三部形式とは逆になっています。
中央にフーガふうの部分があるのも特徴的です。
またフランス語の抑揚を生かした音楽を書いています。