項目 | データ |
---|---|
作曲年 | 1791年9月から(未完) |
初演 | 1793年1月2日(説) |
演奏時間 | 60分程度 |
モーツァルトの『レクイエム』(K. 626)は、モーツァルトが最後に残した曲です。
この曲の作曲中にモーツァルトが亡くなったため、モーツァルトはすべては作曲していません。
残りの部分は弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーにより書かれ完成されました。
第3曲の冒頭の「ディエス・イレ(怒りの日)」はおそらく皆さんも耳にしたことがある部分だと思います。
ここではモーツァルトのレクイエムの解説と名盤を紹介したいと思います。
モーツァルト「レクイエム」の演奏
イントロイトゥス(Introitus)/入祭唱
第1曲:レクイエム・エテルナム
第2曲:キリエ(Kyrie)
セクエンツィア/続唱
第3曲:ディエス・イレ(Dies irae)/怒りの日
第4曲:トゥーバ・ミルム(Tuba mirum)/奇しきラッパの響き
第5曲:レックス・トレメンデ(Rex tremendae)/恐るべき御稜威の王
第6曲:レコルダーレ(Recordare)/思い出したまえ
第7曲:コンフターティス(Confutatis)/呪われ退けられし者達が
第8曲:ラクリモーサ(Lacrimosa)/涙の日
オッフェルトリウム/奉献文
第9曲:ドミネ・イエス(Domine Jesu Christe)/主イエス
第10曲:オスティアス(Hostias)/賛美の生け贄
サンクトゥス/聖なるかな
第11曲:サンクトゥス(Sanctus)/聖なるかな
第12曲:ベネディクトゥス(Benedictus)/祝福された者
アニュス・デイ/神の小羊
第13曲:アニュス・デイ(Agnus Dei)/神の小羊
コムニオ/聖体拝領唱
第14曲:ルックス・エテルナ(Lux aeterna)/永遠の光
経済的に困窮していたモーツァルト
晩年のモーツァルトは人気に陰りが見え始め、経済的にも苦しい生活を送っていました。
仕事が減るだけではなくモーツァルトの浪費癖も激しかったため、借金をしての生活でした。
この時期の作品としては、「レクイエム」の他にはオペラ「魔笛」「皇帝ティートの慈悲」などが作曲されています。
見知らぬ男から「高額」で作曲の依頼
その苦しい時期の1791年に、見知らぬ男が高額の報酬と引き換えにレクイエムの作曲を依頼してきます。
「前金として半額をくれた」というので、生活の苦しかったモーツァルトにとっては嬉しい仕事の依頼だったことでしょう。
この「見知らぬ男」「高額報酬」は今でもしばしば語られる謎めいた話です。
魔笛の作曲後に、モーツァルトはすぐにレクイエムの作曲を始めますが体調が悪化しはじめます。
そして12月になるとさらに病は悪化し、ついに帰らぬ人となってしまうのです。
第8曲のラストである「ラクリモサ(涙の日)」の8小節を書き終えたのが最後となりました。
モーツァルトは亡くなるギリギリまで作曲を続けたそうです。
「自分で楽譜を書く体力がなくなってからも、弟子のジュースマイヤーに作曲の支持を出していた」という内容が、コンスタンツェの妹ゾフィーの手紙で残されています。
ちなみに弟子のジュースマイヤーは「皇帝ティートの慈悲」のレチタチーヴォ部分も作曲しています。
依頼人は「死の世界からの使い」だった!?
レクイエムの依頼者は「死の世界からの使い」だったと語られることがしばしばあります。
モーツァルトは自分自身のレクイエムを書いていたということですね。
これはレクイエムの依頼がきた時のことをモーツァルト自身が「この曲は自分自身のレクイエムだ」と手紙に残していることから作られた伝説です。
この頃すでにモーツァルトの体調は良くなかったため、そう感じたのでしょう。
この手紙はダ・ポンテへ送られた手紙の中で書かれています。
ダ・ポンテといえばモーツァルトの「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トゥッテ」「ドン・ジョヴァンニ」の台本を書いたことでも有名です。
実はこのダ・ポンテへの手紙も偽物ではないかという説も現在では出ています。
手紙が偽物だったとすると、この伝説はすべてが作り話だったことになります。
使いの正体は佐村河内もびっくりの詐欺師
使いの正体は、実は「この人ではないかな?」という人物がいます。
使いの名は、フランツ・アントン・ライトゲープです。
ライトゲープは、田舎の領主であるフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵の知人でした。
このヴァルゼックの仲介人としてモーツァルトに作曲を依頼したのが、知人のライトゲープです。
田舎の領主であるヴァルゼックはとんでもない人物でした。
彼はお金にモノを言わせて作曲家に曲を頼み、他人の曲を自分の曲として何曲も世の中に発表していたのです。
ヴァルゼックの妻が亡くなったので、そのレクイエムをモーツァルトに書いてもらおうとしたのが真相です。
しかし、コンスタンツェが写譜を持っていたため、無事モーツァルトの作品として広まりました。
ヴァルゼック伯爵はそのことに抗議したと言われています。
モーツァルトをゴーストライターとして使おうとは、いつの時代も信じられない人物がいるものですね。
モーツァルトをゴーストライターにするのは恐れ多いです...
妻コンスタンツェは作曲料を全額受け取れた
モーツァルトの弟子ジュースマイヤーらの手伝いもあり、「レクイエム」は無事完成されました。
その楽譜を詐欺師ヴァルゼック伯爵に渡し、妻コンスタンツェは残りの作曲料を全て受け取ったそうです。
その後モーツァルトのパトロンの計らいで、コンスタンツェはその完成した作品を聴くことができたと言われています。
モーツァルト「レクイエム」名盤
ベーム&ウィーン・フィル
「モーツァルトを振らせると右に出るものがいない」と言ってもいい指揮者ベームとウィーン・フィルの1971年の録音です。
落ち着いたテンポで重厚感のあるどっしりとした音楽を聴かせてくれます。
また有名な「ディエス・イレ(怒りの日)」の部分では、鬼気迫るまさにタイトル通りの演奏が聴けます。
オーケストラや合唱も素晴らしいですが、ソリストたちの演奏も見事です。
音楽ファンにとっても、これからクラシックを聴く人にとってもオススメできる名盤に間違いないでしょう。
エディット・マティス(ソプラノ)
ユリア・ハマリ(アルト)
ヴィエスワフ・オフマン(テノール)
カール・リッダーブッシュ(バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:カール・ベーム
録音:1971年4月(ウィーン、ムジークフェラインザール)
その他の曲目一覧(目次)
その他の作品・あらすじ・歌詞対訳などは下記リンクをクリックしてください。