グスタフ・マーラー(Gustav Mahler/1860年~1911年)の「交響曲第6番(悲劇的)」は、1903年から1904年にかけて作曲されました。

「第6番」は「第5番」と同様に声楽は置いていないものの、大編成の管弦楽を必要とします。
また「第5番」で古典的になった音楽は「第6番」では拡大され自由になり、管弦楽や打楽器が活躍します。
そして何より終楽章でハンマーが使用されるのが印象的です。

ここではマーラー「交響曲第6番(悲劇的)」の解説と名盤を紹介したいと思います。

マーラー「交響曲第6番(悲劇的)」の演奏


指揮:クラウス・テンシュテット(Klaus Tennstedt/1926年-1998年)
演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(London Philharmonic Orchestra)
1991年ライブ演奏
[00:00]第1楽章:Allegro energico, ma non troppo. Heftig, aber markig.
[25:28]第2楽章:Scherzo: Wuchtig
[39:39]第3楽章:Andante moderato
[57:30]第4楽章:Finale: Sostenuto – Allegro moderato – Allegro energico

多忙を極めたマーラー

この頃のマーラーはウィーン国立歌劇場の芸術監督を務めており、多忙な生活を送っていました。
指揮者として年間100回以上のステージに立つだけではなく、歌劇場の運営にも関わっていました。

そのため作曲活動は主に夏の休暇中に限られていました。
交響曲第5番から第8番までは、休暇を利用してオーストリア南部のヴェルター湖畔のマイアーニックの山荘で作曲されました。
「リュッケルトの詩による五つの歌曲集」「亡き子をしのぶ歌」もここで作曲されており、この山荘は今でも遺っています。

mahler

生活が安定した時期の作品

「第5番」を作曲した頃(1901-1902)は、ウィーンの聴衆や評論家との関係が悪化しウィーン・フィルの指揮者を辞任するなど精神的にも苦労の多い時期でした。
さらに持病の痔の手術をするなど体調も良くありませんでした。

一方「第6番」の頃(1903-1904)は、マーラーの人生の中でも安定した時期にありました。
それが関係しているかはわかりませんが、大曲でありながらマーラーの中では比較的短期間で作曲が完成しています。

マーラーは、「第6番」の音楽を1902年に結婚したばかりの20歳年下の妻・アルマにピアノで聴かせたそうです。
アルマは感動し、終楽章のハンマーが振り下ろされる部分を特に気に入ったと言われています。

象徴的な意味を持つ打楽器

「第6番」では象徴的な意味を持つ打楽器が3つ登場します。

それはカウベル(牛の首に付ける大型の鈴)、低音のベルハンマーです。

カウベルは安息・平和を表現していると言われ、第1楽章、第3楽章、第4楽章に登場します。
マーラーは実際に山でカウベルの音を聞き、使用することを思いついたそうです。

低音のベルは教会の鐘を表現していると言われ、第4楽章に登場します。
そして最後のハンマーは「運命の打撃」を象徴していると言われ、これも第4楽章に登場します。
マーラーは妻アルマに「英雄は敵から3回攻撃を受け、3回目に木のように倒れてしまう。」と語ったそうです。

ハンマーの打撃は元々5回ありましたが、その後3回になり、初演では2回へと減りました。
現在では妻アルマの回想を基に3回ハンマーを打つ演奏もあります。

初演で「悲劇的」と紹介

初演は1906年5月27日にエッセンでマーラー自身の指揮によっておこなわれました。
曲が難解なため、1週間ものリハーサルをついやして臨まれました。
マーラー自身が作曲したのにもかかわらず、名指揮者マーラーでさえその指揮に苦戦したそうです。

大編成の管弦楽で打楽器も活躍する斬新な音楽に、当時の音楽家たちは衝撃を受けたそうです。
初演時にこの作品は「悲劇的」と紹介されましたが、マーラー自身が付けたかどうかは定かではありません。

マーラー「交響曲第6番(悲劇的)」の名盤

アバド&ベルリン・フィル

シカゴ響(1979-80年)と、ウィーン響と(1967年)でも「第6番」を録音してきたアバドによる、2004年6月のベルリン・フィルとのライブレコーディングです。
円熟味を増した巨匠による名盤です。
この録音では初演時の演奏順で第2楽章にアンダンテを、第3楽章にスケルツォを置いています。
※一般的な演奏は逆(第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテ)

クラウディオ・アバド(Claudio Abbado/1933年6月26日-2014年1月20日)
イタリア、ミラノ出身の指揮者
1990年にカラヤンの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督に就任。
2002年までその職を務めた。

1972年:ミラノ・スカラ座音楽監督に就任(1977年には芸術監督に)
1983年:ロンドン交響楽団音楽監督に就任
1986年:ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任
1990年:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督に就任

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)
世界を代表するオーケストラの一つで、日本において絶大な人気を誇る。
重厚なドイツ的サウンドを奏でながらも、バラエティに富んだプログラムを演奏し常に世界の最先端をリードしている。

その他の曲目一覧(目次)

その他の作品・あらすじ・歌詞対訳などは下記リンクをクリックしてください。

クラシック作品(目次)

オペラ作品(目次)

ミュージカル作品(目次)

歌詞対訳(目次)

ピアノ無料楽譜(目次)