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グスタフ・マーラー(Gustav Mahler/1860年~1911年)の「さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)」は、1883年から1885年にかけて作曲されました。
歌詞もマーラーによって書かれました。
全4曲からなり、16分ほどの作品です。
マーラーを代表する作品の一つであり、マーラー自身の失恋体験がこの作品に影響していると言われています。
「交響曲と歌曲の大家」として知られるマーラーですが、この「さすらう若人の歌」から彼の歌曲は始まります。
ここではマーラー「さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)」の解説と名盤を紹介したいと思います。
「さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)」の演奏
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ (Dietrich Fischer-Dieskau/1925年-2012年)
ドイツのバリトン歌手で、歴史に残る偉大な歌手の一人
[00:07]第1曲:Wenn mein Schatz Hochzeit macht
[03:58]第2曲:Ging heut Morgen übers Feld
[08:07]第3曲:Ich hab'ein glühend Messer
[11:13]第4曲:Die zwei blauen Augen von meinem Schatz
1960年10月24日サル・プレイエル(フランス、パリ)にて
若くして活躍し始めたマーラー
マーラーは作曲家であるとともに、優れた指揮者でもありました。
若い頃からその才能は発揮されます。
15歳の頃(1875年)にウィーン楽友協会音楽院(現ウィーン国立音楽大学)に入学すると、翌年には学内にてピアノでも作曲でも1位と獲得します。
そして卒業時には作曲賞を受賞しました。
若きマーラーの失恋
マーラーは23歳の頃(1883年)にカッセル王立劇場の副指揮者となりました。(カッセルはドイツの中央部に位置します。)
そこでマーラーは劇場のソプラノ歌手ヨハンナ・リヒターと出会います。
そしてマーラーは、コロラトゥーラを得意とした彼女(青眼の金髪女性と伝えられる)に恋をしました。
熱烈な恋をしたマーラーでしたが、この恋は片思いに終わってしまいます。
この失恋経験が反映された作品が「さすらう若人の歌」というわけです。
ピアノ伴奏を先に作曲
「さすらう若人の歌」はピアノ伴奏とオーケストラ伴奏の2種類があります。
正確な時期はわかっていませんが、ピアノスコアが先に完成されたようです。
作曲は
1.「さすらう若人の歌」のピアノ伴奏
2.「交響曲第1番」
3.「さすらう若人の歌」のオーケストラ伴奏
の順でなされたと言われています。
「さすらう若人の歌」と「交響曲第1番」の関係が深いと言われるのは当然のことかもしれません。
各曲について
作詩もマーラー自身によって手掛けられたこの歌曲集は、4曲からなります。
「さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)」は、ドイツ語通りにタイトルを訳すと少しイメージが変わります。
Lehrling(見習い・徒弟)とMeister(名人・親方)の間に当たります。
「Geselle」は単純に若人ではないというわけです。
Lieder:歌曲集/Lied(歌)の複数形
eines:ある~の
fahrend(en):走っている、遍歴の
Geselle(n):職人
第1曲:Wenn mein Schatz Hochzeit macht
第1曲「彼女の結婚式の日は」
男は恋人を失い、その彼女の結婚式がおこなわれています。
第1曲では男がそれを嘆き悲しんでいます。
この歌詞と似たものが、「少年の魔法の角笛(Des Knaben Wunderhorn)」の詩集に存在します。
「少年の魔法の角笛」は1806年から1808年に出版されたドイツの民衆歌謡の詩集で、ルートヴィヒ・アヒム・フォン・アルニムとクレメンス・ブレンターノによって収集されました。
マーラーこの詩集から詩をピックアップし、1892年から1901年にかけて歌曲集を作曲しています。
第2曲:Ging heut Morgen übers Feld
第2曲「朝の野原を歩けば」
明るく陽気な音楽で自然の様子を美しく歌いあげます。
しかし最後に
「私の幸せも始まったのだろうか?」
「いや、私の望むものは決して花開くことがない!」
男はと自答して終わります。
第2曲は「交響曲第1番(巨人)」第1楽章と共通の素材が使われていることで有名です。
「交響曲第1番(巨人)」と「さすらう若人の歌」は同時期に作曲されています。
一般的に「さすらう若人の歌」が先で「第1番」に転用されたと言われています。
そもそも同時期の作品のため、両者は作曲当初から深く関係していると評されることもあります。
第3曲:Ich hab'ein glühend Messer
第3曲「私は燃える様なナイフを持っている」
「燃えるようなナイフが私の胸の中に」と、恋人を忘れられない苦しみが歌われる。
第4曲:Die zwei blauen Augen von meinem Schatz
第4曲「彼女の2つの青い瞳が」
第1曲~3曲を経て、男が想いを語ります。
苦しみを拭いきれない中で全曲は終わります。
「Auf der Straße steht ein Lindenbaum,Da hab'ich zum ersten Mal im Schlaf geruht!」
(道ばたに菩提樹が立っている。そこで、私ははじめて安らかに眠った)
上記の歌詞部分は、「交響曲第1番」第3楽章の中間部とほとんど同じ音楽になっています。
また第4曲は、自筆稿に「葬送行進曲のテンポで」と指示されています。
これは後に「交響曲第5番」第1楽章などでも見られます。
マーラー「さすらう若人の歌」の名盤
ディースカウ&バーンスタインフィッシャー=ディースカウとバーンスタイン唯一の共演となった歴史的名盤です。
バーンスタインによるピアノ伴奏での演奏で、全盛期のディースカウの名唱が堪能できます。
「さすらう若人の歌」の他に、「リュッケルトの詩による歌曲集」「若き日の歌」からの曲を加えて19曲収録されています。
1968年録音
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ (Dietrich Fischer-Dieskau/1925年5月28日-2012年5月18日)
ドイツのバリトン歌手
オペラ、歌曲、宗教曲と多彩なレパートリーで活躍した歴史上最も偉大な歌手の一人。
1948年:ベルリン・ドイツ・オペラ(当時はベルリン市立歌劇場)と契約
1951年:ザルツブルク音楽祭にマーラー「さすらう若人の歌」でデビュー
1954年:バイロイト音楽祭に出演(1961年まで毎年)
他にもバイエルン国立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、コヴェント・ガーデン(ロイヤル・オペラハウス)、ハンブルク国立歌劇場など世界の主要歌劇場で活躍。
レナード・バーンスタイン (Leonard Bernstein/1918年8月25日-1990年10月14日)
ユダヤ系アメリカ人の作曲家、指揮者、ピアニスト
1958年:アメリカ生まれの指揮者として初めてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任
ニューヨーク・フィルの音楽監督辞任(1969年)後は、特定のポストには就かず、ウィーン・フィル、イスラエル・フィル、バイエルン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、フランス国立管弦楽団などに客演
ピアニストとしては、ベートーヴェン、モーツァルト、ラヴェル、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲やガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」なども録音している。
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