項目データ
作曲1815年
初演1881年2月19日 水晶宮コンサート(ロンドン)
演奏時間約25分

フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert/1797年~1828年)の「交響曲第3番」は、1815年に作曲されました。
シューベルトが18歳の頃の作品で、彼の交響曲の中では最も短い作品です。

 同じ1815年に
・「交響曲第2番」
・「4年間の歩哨兵勤務」など4つのオペラ
・「弦楽四重奏曲第9番」
・「魔王」
・「野ばら」
など多くの曲が作られています。

ここではシューベルト「交響曲第3番」の解説と名盤を紹介したいと思います。

シューベルト「交響曲第3番」の演奏

指揮:カルロス・クライバー(Carlos Kleiber/1930年-2004年)
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(iener Philharmoniker、Vienna Philharmonic Orchestra)

[00:00]第1楽章:Adagio maestoso – Allegro con brio
[08:55]第2楽章:Allegretto
[11:40]第3楽章:Menuetto. Vivace
[15:22]第4楽章:Presto vivace

「交響曲第2番」完成直後に短期間で作曲された

シューベルトの「交響曲第2番」は、1815年3月24日に完成されました。

第3番の作曲は、そこからちょうど2か月後の5月24日に開始されました。
作曲は順調に進み、2か月弱(7月19日)で完成しました。

シューベルトらしい交響曲

シューベルトは1808年から1814年まで、ウィーン楽友協会音楽院の前身校で音楽を学びました。
そこで彼は、アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri/1750年-1825年)の指導を受けました。

 サリエリは映画『アマデウス』で音楽ファン以外にもよく知られるようになりました。
彼は宮廷楽長として活躍し、教育家としてはベートーヴェン、シューベルト、リストらを育てました。

サリエリはシューベルトの音楽を「ハイドンやモーツァルトの真似事」だと評し、厳しく指導にあたったそうです。
しかしそれは期待の裏返しで、サリエリはシューベルトに情熱を注いだそうです。
その結果もあってか、「交響曲第3番」では真似事を脱却したシューベルトらしい音楽を聴くことができます。

学校で教師をしていた時期

この頃のシューベルトは、父親の学校で働いていました。(1814~)
教えることが苦手なシューベルトはその職に関心が示せず、代わりに作曲活動に生きがいを見つけました。

結局教師の職は長続きせず、2年後の1816年に辞めることとなります。

シューベルトの死後に初演された

「交響曲第3番」は、シューベルトの生前に演奏された記録は残っていません。

 作曲された1815年に、アマチュアのオーケストラによって私的に演奏されたのではとも言われています。

残された記録では、シューベルトの死後32年経った1860年に第4楽章だけが演奏されたのが最初です。(ウィーンにて、指揮:ヨハン・ヘルベック(1831-1877))
ヘルベックは「未完成」を発見し初演した人物でもあります。

全楽章の初演は、ロンドンの水晶宮1881年2月19日にようやくおこなわれました。

シューベルト「交響曲第3番」の名盤

カルロス・クライバーによる名盤として知られた1枚で、「エネルギッシュ」かつ「爽やかで流れる」ようなシューベルトが堪能できます。

【収録曲等】
シューベルト:交響曲第3番
シューベルト:交響曲第8(7)番『未完成』
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 
指揮:カルロス・クライバー

録音時期:1978年9月(ウィーン、ムジークフェラインザール)

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