項目データ
作曲1819年(or 23 or 25年:諸説あり)
初演不明
編成ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス
演奏時間約35分

フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert/1797年~1828年)の『ピアノ五重奏曲』は、1819年に作曲されました。(1823,1825の説もアリ)

第4楽章にシューベルトの傑作リート(ドイツ歌曲)『鱒(ます)』のメロディーが使われていることから、『鱒(ます)』の愛称でも親しまれています。

ここではシューベルト『ピアノ五重奏曲(ます)』の解説と名盤を紹介したいと思います。

↑ 歌曲『鱒』(1817年作曲)はこちらから

シューベルト『ピアノ五重奏曲(ます)』の演奏

[00:08]第1楽章:Allegro Vivace
[12:50]第2楽章:Andante in F major
[19:34]第3楽章:Scherzo: Presto
[24:00]第4楽章:Andantino – Allegretto in D major
[31:34]第5楽章:Allegro giusto

若々しい頃のシューベルトが作った作品

『ピアノ五重奏曲(ます)』を作曲したのは、シューベルトが22歳の頃(1819年)だと考えられています。

 同時期に
「交響曲第6番」(1817-18年)
「ピアノソナタ第13番」(1819年)
などが作曲されています。

シューベルトは、2年間働いた1816年に教師の職を辞めます。
その後は音楽の仕事が多くあるわけではなく、シューベルトは貧しい生活を送りました。

しかし友人たちの支援のおかげで、シューベルトは貧しいながらも幸せな生活を送っていたそうです。

友人の故郷を訪れたシューベルト

1819年夏、シューベルトは約30歳年上の友人ヨハン・ミヒャエル・フォーグルと共に、フォーグルの故郷シュタイアー(オーストリアの都市)を訪れます。

 ヨハン・ミヒャエル・フォーグル(Johann Michael Vogl,1768年-1840年)
オーストリアの歌手・作曲家で、シューベルトの傑作歌曲集『冬の旅』を初演した人物。
シューベルトが若くして亡くなった後は、シューベルトの歌曲の普及に尽力した。

そこでシューベルトは、町の裕福な鉱山長官ジルヴェスター・パウムガルトナーと出会います。
パウムガルトナーは音楽愛好家で、コンサートを開き自らでチェロを演奏するほどの音楽好きでした。

依頼人が歌曲『鱒』が大好きだった

『ピアノ五重奏曲(ます)』は、このパウムガルトナーに依頼された作品だと考えられています。

パウムガルトナーは歌曲『鱒』を大変気に入っており、シューベルトは彼のために鱒のメロディーを取り入れたそうです。
ちなみに「ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス」という通常と異なるピアノ五重奏の編成もパウムガルトナーの希望によるものです。

 シューベルトは1823年、1825年にもシュタイアーを訪れています。
そのため作曲年は「1819.1823.1825」の3つの説が考えられています。
1819年が決定的となる資料は、まだ見つかってないようです。

チェリストだったパウムガルトナーが活躍できるように、チェロにもしっかりと見せ場がやってくる作品となっています。

シューベルト『ピアノ五重奏曲(ます)』のオススメ名盤

晩年のギレリスと1950年~1970年代を代表する弦楽四重奏団、アマデウス四重奏団の共演です。
ピアノの華やかさと弦の軽やかさが調和した『ピアノ五重奏曲(ます)』の代表的録音として広く知られています。

【収録曲】
シューベルト:ピアノ五重奏曲(ます)
ピアノ:エミール・ギレリス
コントラバス:ライナー・ツェペリッツ
アマデウス四重奏団

録音時期:1975年8月、9月(フィンランド、トゥルク)

シューベルト:弦楽四重奏曲第14番(死と乙女)
アマデウス四重奏団

録音時期:1959年4月(ハノーファー、ベートーヴェンザール)

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