マックス・ブルッフ(Max Bruch/1838年~1920年)の「ヴァイオリン協奏曲第1番」は、1866年に作曲されました。
ブルッフの代表作品であり、多くのヴァイオリン協奏曲の中でも特に人気の高い作品です。
この作品はある意味ブルッフ本人より有名であるかもしれません。
ちなみに山田耕筰は1910年から3年間ドイツ・ベルリン音楽学校に留学しましたが、その間にブルッフから作曲を学んでいます。
ここではブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」の解説と名盤を紹介したいと思います。
メロディーメーカー、ブルッフ
ブルッフはドイツのケルンで歌手である母親のもとで生まれました。
母親の歌を聴いて育ったのでしょう。
ブルッフの音楽の特徴は何といっても美しいそのメロディーにあります。
その美しいメロディーがとても聴きやすいので、1度聴くだけでうっとりするような作品が多いのが印象的です。
ちなみにブルッフはソプラノ歌手と結婚しています。
歌を愛することが彼の音楽の根底にあったのかもしれません。
伝統的な音楽を好んだブルッフ
またブルッフの母親は音楽の教育者でもあったため、ブルッフも若くから音楽を学び始めます。
若くして成熟した音楽を手に入れたブルッフは、その後時代が変わっても一貫して同じ姿勢で音楽に取り組んでいます。
メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスなどのロマン派の音楽を愛し、その当時革新的であったリスト、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスの音楽はあまり好まなかったと言います。
そのため晩年では時代遅れの音楽と評されることもありました。
20代後半で書かれた「ヴァイオリン協奏曲第1番」
「ヴァイオリン協奏曲第1番」はブルッフが20台後半の1864年から1866年にかけて書かれました。
この頃はドイツのコブレンツの音楽監督を務めた頃で、彼がまだ若かりし頃の作品です。
初演は1866年にコブレンツでブルッフ自身の指揮でおこなわれ、成功を収めました。
しかし、ブルッフはさらに素晴らしい音楽を完成させるためにヨーゼフ・ヨアヒムに助言を求め、1868年に改訂後の演奏がヨアヒムがソリストを務めて演奏されました。
現在ではこちらの1868年の版で演奏されています。
ヨアヒムは初演のソリストは務めませんでしたが、この作品自体はヨアヒムから刺激を受けて作曲したと言われています。
ヨアヒムをブルッフを紹介したのは、シューマンの妻であるクララでした。
ブラームスとヴァイオリニスト、ヨアヒム
ヨアヒムは当時を代表するヴァイオリニストで、ブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」の初演でもソリストを務めました。
ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」とブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」のそれぞれの第3楽章は似ていると評されることもありますので、この二つを意識して聴き比べてみるのも面白いかもしれません。
またブルッフはちょうど「ヴァイオリン協奏曲第1番」を作り始めた1864年に「交響曲第1番」の作曲も始めています。
そして「交響曲第1番」は1868年に初演されブラームスに献呈されました。
ヨアヒムとブラームスは友人関係であったことで知られていますが、音楽の感性においても似た部分があったのかもしれません。
ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」の名盤
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