グスタフ・マーラー(Gustav Mahler/1860年~1911年)の「交響曲第2番(復活)」は、1888年から1894年にかけて作曲されました。

「交響曲第1番」に比べるとかなり大規模になってきており、マーラーの巨大な作品への傾向が見え始めます。
金管楽器・打楽器が増え、さらにはソリスト・合唱も加わりました。

また「復活」の標題はマーラー自身が付けたものではありません。
この標題は、第5楽章のクロプシュトックの詩「復活」からきています。

ここではマーラー「交響曲第2番(復活)」の解説と名盤を紹介したいと思います。

マーラー「交響曲第2番(復活)」の演奏


指揮:マリス・ヤンソンス(Mariss Jansons/1943年-)
演奏:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(Koninklijk Concertgebouworkest)
合唱:オランダ放送合唱団 (Netherlands Radio Choir)
ソプラノ:リカルダ・メルベート(Ricarda Merbeth)
メゾソプラノ:ベルナルダ・フィンク(Bernarda Fink)

マーラーに不幸が襲う

マーラーが「交響曲第2番(復活)」の作曲を始めたのは、1888年でした。
これは「交響曲第1番」の作曲の完成と初演が重なっている時期でした。
多忙な時期だったため、「第2番」の作曲は進みませんでした。

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そしてその翌年(1889年)に、マーラーに不幸な出来事が次々と襲います。
2月に父親を亡くし、10月に母親も亡くします。
そして同年に妹までも脳腫瘍で亡くしてしまいます。
マーラー自身も痔の手術をおこなうなど健康にも苦しみました。

「交響曲第1番」が失恋に関係していることとは対照的に、「交響曲第2番」は死と関係していると言われています。

指揮者として大活躍していたマーラー

この当時から既にマーラーは指揮者としても高い評価を得ていました。

1888年の28歳の頃にブダペスト王立歌劇場の芸術監督となると、翌年ワーグナーの「ラインの黄金」「ワルキューレ」のカットなしでの初演で絶賛されます。
しかし音楽的才能に溢れるマーラーでしたが、「強気な性格」ゆえに人々との衝突も多くありました。
ブダペストの新しい支配人と折が合わず、指揮者をクビになってしまいます。

ハンブルクへ移る

クビにはなりましたが、才能豊かなマーラーはすぐに次の職が見つかります。
マーラーはハンブルク歌劇場の首席指揮者に職を変え、その職を6年間務めることとなります。

マーラーはハンブルクで活躍していたハンス・ビューローに認められ、病弱だったビューローの代役で指揮を担当するようになります。
そしてマーラーはハンブルクでの評価を高めていきます。

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ただし、ビューローは「指揮者としてのマーラー」を評価していたようです。

マーラーはビューローに「交響曲第2番」の第1楽章をピアノで聴かせましたが、理解を得られませんでした。
またビューローは、マーラーの歌曲のコンサートの指揮も断っています。
マーラーにとって、ビューローは決して良い存在だとは言えなかったのかもしれません。

ビューローの葬儀

そんな中、ビューローが1894年に64歳で亡くなります。
ビューローの葬儀にマーラーも参列しました。

この葬儀でマーラーはクロプシュトックの「復活」の合唱を耳にします。(オルガンと合唱の曲で、作曲者は不明)
「交響曲第2番」第5楽章の歌詞を探し求めていたマーラーは、感銘を受けたこの詩を用いることを決意します。
マーラーはこの詩に変更を加え歌詞として採用しました。

※クロプシュトック(Klopstock/1724年-1803年)・・・ドイツの詩人、主要作品は「メシーアス」「オーデ集」「ヘルマンの戦い」など

借金をしてまでの初演

ようやく1894年に完成した「交響曲第2番」は、1895年12月13日に初演を迎えます。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、指揮はマーラー自身がおこないました。

大規模な管弦楽団、合唱、そしてソリストを必要とするため、演奏には多額の資金を必要としました。
マーラーは借金をして自費でオーケストラを雇い、十分なリハーサルを重ねて初演に迎えたそうです。

そうして臨んだ初演は、批評家の賛否は別れたものの、聴衆からは拍手喝さいを浴びたそうです。

「角笛」3部作とも呼ばれる

マーラーの「交響曲第2番」、「交響曲第3番」、「交響曲第4番」は「少年の魔法の角笛」の3部作とも呼ばれることもあります。

「少年の魔法の角笛」はマーラーが作曲した10曲からなる歌曲集で、同名の詩集から歌詞を使用しています。
最終稿には残っていませんが、初期の出版時には、「原光」「3人の天使が歌った」の2曲が存在しました。
また出版時に削除されましたが「天上の生」という曲もありました。

これらの3曲が
「原光」・・・交響曲第2番の4楽章に使用
「3人の天使が歌った」・・・交響曲第3番の5楽章に使用
「天上の生」・・・交響曲第4番の4楽章に使用
マーラーの2~4番の交響曲に使われています。

マーラー「交響曲第2番(復活)」の名盤

メータ&ウィーン・フィル

ズービン・メータの数ある録音の中でも随一の傑作と評判の1枚です。
「復活」には欠かせないソリストと合唱も、とても充実しています。

[1975年録音] 指揮:ズービン・メータ
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ソプラノ:イレアナ・コトルバシュ
メゾ・ソプラノ:クリスタ・ルートヴィヒ
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団

ズービン・メータ(Zubin Mehta/1936年4月29日-)
インド出身の指揮者
現代の巨匠で、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを5度も指揮しており、ウィーン・フィルとの関係が深い。
2011年4月、震災の影響で外国人の多くが来日をキャンセルする中、ベートーヴェン「第九」(東京・上野)を指揮し喝采を浴びたことは記憶に新しい。

1959年:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮しデビュー
1961年:モントリオール交響楽団の音楽監督(1967年まで)
1962年:ロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督(1978年まで)
その後も、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督、フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団の首席指揮者、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者、バイエルン州立歌劇場音楽総監督などを務める。

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