項目 データ
作品名 『無言歌集』第5巻(作品62)より「朝の歌」
作曲者 フェリックス・メンデルスゾーン
作曲年 不明
出版 1844年

「朝の歌」は、ドイツロマン派の作曲家フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn/1809年-1847年)によって1844年に出版されました。

メンデルスゾーンはピアノ作品集『無言歌集』というピアノ独奏のための作品集を発表しています。
この『無言歌集』は15年間をかけて作曲されたもので、全8巻48曲からなります。
38歳の若さで亡くなった彼の人生を考えると、多くの時間をかけて作曲した曲集ということなります。

「朝の歌」は、第5巻(作品62)の第4曲目に入っています。

 『無言歌集』の中でも最も有名な「春の歌」は、「朝の歌」同じ第5巻(作品62)の中の第6曲目です。
 無言歌は原語では"Lieder ohne Worte(言葉のない歌)"と言います。
こう呼び始めたのはメンデルスゾーン本人ではなく、姉のファニーだそうです。
ファニーもまた才能のある音楽家でした。

ライプツィヒで指揮者としても活躍したメンデルスゾーン

メンデルスゾーンは20代半ば頃(1835年)に、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に就任します。
メンデルスゾーンはこの地で音楽文化の発展に貢献します。
自作の作品を演奏するだけでなく、多くの音楽を街に届けました。

ライプツィヒで当時親交のあったシューマンは、メンデルスゾーンにシューベルトの「交響曲第8番」の自筆譜を送り、メンデルスゾーンはこの作品をすぐに初演したそうです。

メンデルスゾーンはライプツィヒでの音楽家としての地位を確固なものとします。

 ライプツィヒは、メンデルスゾーンの他にもバッハ、シューマン、ワーグナーと関係の深い町として有名です。

「朝の歌」は音楽大学を作った頃の作品

「朝の歌」は1844年に出版されましたが、これはメンデルスゾーンが音楽大学を作った直後に当たります。

メンデルスゾーンは1843年に音楽学校を設立します。
設立時の作曲とピアノの教授には、ロベルト・シューマンが招聘されました。
この学校は現在も900人が在学する大学として続いています。(フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ)
日本では滝廉太郎が留学したことで有名です。

 メンデルスゾーンはライプツィヒの音楽文化の発展に貢献し、38年間の短い生涯をこの地で終えました。

メンデルスゾーン「朝の歌」の演奏

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メンデルスゾーン「朝の歌」の無料楽譜(IMSLP/外部サイト)

作品62が全曲ダウンロードされますので、その4曲目(楽譜表記の第62ページ)が「朝の歌」です。

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