ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」は様々なシーンで使われており、クラシック音楽ファンだけでなくポップスファンにも愛されている作品です。
また聴衆と演奏者の両方に人気のある作品でもあります。

彼は合計4曲のピアノ協奏曲を書きましたが、この第2番は最も人気が高くラフマニノフを世に知らしめた作品です。

ロシアの広大な大地を思い出させる重厚な第1楽章と壮大な第3楽章と、甘く切ない第2楽章が特徴的です。
また華やかで美しい旋律は、クラシック初心者の方から愛好家の方まで万人に愛されています。

ラフマニノフは「ピアノ協奏曲第2番」で名声を確立しました。

海外ではフランク・シナトラが第1楽章の第2主題を用いた「I Think of You」を歌っています。
またフレディ・マーキュリーが自身で作曲も手掛けた「THE FALLEN PRIEST(Rachmaninov's Revenge)」でも第1楽章が使われています。

日本ではX JAPANのYOSHIKIがドラムソロでも使用したり、ゴスペラーズが第三楽章の旋律を拝借した「Sky High」を歌っています。
かつてフィギュアスケートの浅田真央さんがこの曲で滑ったときにも話題となりました。

2023年、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」は、クラシックFMの年間投票で第1位を獲得しました。
(クラシック音楽を放送しているイギリスの国営ラジオ)

ラフマニノフのピアノ曲の多くは難曲として知られており、この「ピアノ協奏曲第2番」も例外ではありません。
ピアニストにとって、この曲は至難の曲と言えるでしょう。

ここではラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」の解説と名盤の紹介をします。

この記事のポイント

・世界で最も人気のあるピアノ協奏曲の一つ
・ラフマニノフの出世作
・ラフマニノフが精神的病から復活した作品

ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」の演奏

[00:05]第1楽章:Moderato ハ短調 2分の2拍子
[11:38]第2楽章:Adagio sostenuto ホ長調 4分の4拍子
[23:50]第3楽章:Allegro scherzando ハ短調-ハ長調 2分の2拍子

アンナ・フェドロヴァ(Anna Fedorova)
ウクライナ生まれのピアニスト
キエフ音楽院、イタリアのイモラ国際音楽アカデミー、ロンドンの王立音楽院に学び、ルービンシュタイン記念国際ピアノコンクール(2009年)第1位をはじめ、多数の優勝・入賞歴を誇る。

指揮:マーティン・パンテレーエフ(Martin Panteleev)
演奏:北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団(Nordwestdeutsche Philharmonie)

ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」の解説

ラフマニノフ

ラフマニノフはロシアを代表する作曲家で、チャイコフスキーを代表する19世紀ロシア・ロマン派の音楽を受け継いだ音楽家です。
1900~1901年に書かれたこの曲は、ラフマニノフ自身がピアノのソリストを務め初演されました。
いとこのアレクサンドル・ジロティが指揮を振り、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団が演奏をしました。

初演が大成功に終わった「ピアノ協奏曲第2番」はまさにラフマニノフの出世作であり、この曲で彼は名声を得ます。
そして時代を重ねるとともに、作品としての価値も人気も高まり、世界で最も人気のあるピアノ協奏曲へとなっていきます。
また当然のことながらロシアのロマン派音楽を代表する曲の一つでもあります。

「交響曲第1番」の失敗で精神的に苦しんだ

この当時のラフマニノフは、「交響曲第1番」の初演の失敗から精神的に参っている状態でした。
「交響曲第1番」までは順調に作曲家としての道を歩んでいましたので、「交響曲第1番」の酷評は彼にとって大きな挫折だったのでしょう。
彼は酒浸りの生活を送り、体調を崩していきます。

 交響曲第1番の初演では、指揮者が酔っ払っていたそうです。このことも初演の大失敗に関係しているかもしれません。

ラフマニノフは優れたピアニストでもありました。
作曲をしない期間は、ピアニストとして活動しました。

ラフマニノフは神経衰弱に苦しみ、3年間ほとんど作曲ができない状態でした。

またラフマニノフは1897年から1898年までロシアの小さな歌劇場で指揮者の職に就きましたが。
しかし実際職に就くと、仕事の大半は指揮ではなくピアノのレッスンでした。

不満を持った彼は、短期間でその職を辞めてしまいます。

初演の予定に間に合わなかった

交響曲第1番初演から数年後にロンドン・フィルハーモニック協会によりこの「ピアノ協奏曲第2番」の作曲依頼を受けます
しかし、この曲を書く際も精神的には苦難の連続でした。

元々は1899年の初演予定でしたが、病気のためラフマニノフの作曲活動は全く進みませんでした。
そこで代わりにラフマニノフの作品である幻想曲「岩」や「前奏曲嬰ハ短調」が演奏されました。

協会は「ピアノ協奏曲第2番」の演奏を希望しましたが、ラフマニノフはそれを断ったそうです。

『岩』はラフマニノフがピアノを演奏し、『前奏曲嬰ハ短調』はラフマニノフが指揮をしました。

いとこジロティの存在

「ピアノ協奏曲第2番」の完成には、いとこのジロティの存在も欠かせません。
ジロティはこの作品初演時に指揮をした人物ですが、ラフマニノフに3年間資金の援助をしました。

このおかげでラフマニノフは生活に困窮することなく、作曲活動に専念できました。

ラフマニノフが息を吹き返した作品

ラフマニノフはスタインウェイのピアノを愛していました。

ラフマニノフは病院で催眠療法を受けながら、ようやく全曲を書き終えます。
第1楽章の作曲に最も苦労したと言われています。
そして初演の大成功を迎え、ラフマニノフは精神的にも音楽的にも快方へ向かいます。

 第2楽章、第3楽章初演:1900年12月2日
全曲初演:1901年11月9日

ラフマニノフは治療のために、1900年1月から4月まで毎日ダーリ博士を訪れました。
ダーリは医師の他に、アマチュアのヴィオラ奏者の顔もありました。

この当時数年間にわたって作曲に苦しんでいたラフマニノフを解放してくれたのが「ピアノ協奏曲第2番」だったのです。
「ピアノ協奏曲第2番」は催眠療法と心理療法でラフマニノフを苦悩から救ってくれた、ニコライ・ダーリ博士に献呈されました。

初演の成功後、人気は世界に広がる

「ピアノ協奏曲第2番」初演の成功の後、この作品の人気は世界中に広まります。

初演の翌年である1902年には、ドイツのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって演奏され、サンクトペテルブルクでも成功を収めました。
1903年にはウィーンプラハで演奏され、1904年にはこの作品でグリンカ賞を受賞しました。

1909年にはアメリカでボストン交響楽団によって演奏され、その後ボルチモアとニューヨークでも演奏されました。

ラフマニノフは生涯で「ピアノ協奏曲第2番」のピアノソロを143回も演奏したと記録されています。

曲の構成

全部で35分程度の演奏時間で、3楽章で構成されています。

第1楽章:Moderato ハ短調 2分の2拍子

ロシア正教の鐘をイメージした音をピアノが鳴らした後に、ロシア的な重厚なオーケストラが第1主題を演奏します。
この冒頭の音楽は「のだめカンタービレ」で取り上げられたことから、若い世代にも馴染みのある音楽です。

一度音楽は静けさを取り戻し、ヴィオラが鳴ると、それに続いてピアノによる第2主題が登場します。
第2主題は対照的に甘くうっとりするようなメロディーです。
ピアノがこの後に奏でる急速な装飾音型は、ロシア正教の小さな鐘を表現しているそうです。
そしてオーケストラも加わり、音楽の規模は次第に大きくなっていきます。

展開部で劇的に盛り上がった後に、再現部は壮厳な音楽となります。
最後はピアノ独奏の盛り上がりの中で、歯切れよく終わります。

第2楽章:Adagio sostenuto ホ長調 4分の4拍子

静かな弦楽器がクレッシェンドを迎え、ピアノがアルペジオで入ってきます。
このアルペジオは1891年作曲の六手のピアノのための「ロマンス」の序奏からきています。
このピアノの上に柔らかなフルートのメロディーが乗り、それをクラリネットが受け継ぎます。

優美な音楽がピアノにも移り、しばらく演奏されると音楽は短調となりテンポを増します。
ピアノとオーケストラが絡み合いクライマックスを迎えたところで、ピアノのカデンツァに入ります。

優しい音楽の中、最後はピアノ独奏で静かに第2楽章は終わります。

第3楽章:Allegro scherzando ハ短調-ハ長調 2分の2拍子

短いオーケストラによる序奏を経て、ピアノが勢いよく登場しスケルツォ風の第1主題を奏でます。
続いて抒情的な第2主題がオーボエとヴィオラによって登場し、ピアノに引き継がれます。

この対照的な2つの主題が交わりながら音楽は進み、壮大な盛り上がりの中で作品は幕を閉じます。

ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」の名盤

「20世紀最高のピアニストの一人」と評価されるスヴャトスラフ・リヒテルの演奏です。
ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」を聴き比べをするなら、避けては通れない1枚でもあります。

芸術的で迫力に溢れ、鳥肌がたたずにはいられない演奏を是非味わってみてください。

その他の録音

ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」のその他の録音も紹介したいと思います。

ウラディーミル・アシュケナージ

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20世紀後半を代表するロシアのピアニスト、ウラディーミル・アシュケナージによるラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」です。
ロシア人らしくラフマニノフの作品に精通しており、ラフマニノフの協奏曲全曲とほとんどのピアノ独奏曲をレパートリーに持っています。
また指揮者としてもラフマニノフの作品をいくつも録音しています。

ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy、1937年7月6日 - )
ソヴィエト連邦出身のピアニスト・指揮者で、20世紀後半を代表するピアニストの一人。
168センチの小柄な体格で、卓越したテクニックと洗練された音楽で聴き手を魅了している。
とても幅広いレパートリーを誇り、その音楽は万人に愛されている。

1955年:ショパン国際ピアノコンクールに出場2位。アシュケナージが優勝を逃したことで、審査員が降板する騒動になる。
1956年:エリザベート王妃国際音楽コンクール優勝
1962年:チャイコフスキー国際コンクール優勝
1963年:ソ連から亡命のためにロンドンへ移住
1970年:指揮活動も開始
1972年:アイスランド国籍取得
1987年:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督に就任
1989年:26年振りにソ連に帰郷

エレーヌ・グリモー

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続いてはウラディーミル・アシュケナージが指揮をしている録音です。
フランスの名ピアニスト、エレーヌ・グリモーとフィルハーモニア管弦楽団による200年の録音です。

近年の録音の中で特に評価の高い名盤として、多くの音楽ファンに愛されている1枚です。

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