シューマンの「交響曲第3番」は、1850年に作曲され1851年に初演されました。

ドレスデンからデュッセルドルフへ移り住んですぐの作品で、彼が40歳の頃に書かれました。
「ライン」という副題が付けられていますが、これはシューマンが名付けたものではありません。
しかしこの作品自体がライン川からインスピレーションを受け、関係が深いことには間違いないようです。

ここではシューマン「交響曲第3番」の解説と名盤を紹介したいと思います。

シューマン「交響曲第3番」の演奏


演奏:ニューヨーク・フィルハーモニック(New York Philharmonic)
指揮:レナード・バーンスタイン (Leonard Bernstein/1918年-1990年)

[00:00]第1楽章:Lebhaft(いきいきと)
[10:06]第2楽章:スケルツォ Sehr mäßig(極めて穏やかに)
[15:50]第3楽章:Nicht schnell(速くなく)
[21:28]第4楽章:Feierlich(荘厳に)
[27:43]第5楽章:Lebhaft(いきいきと)

1960年 スタジオレコーディング

デュッセルドルフへ引っ越す

ドレスデン時代(1844年-1850年)の終わりごろから、シューマンは音楽の定職を求めだします。
その時にデュッセルドルフでの音楽監督の話を受け取ります。

妻のクララはドレスデンの生活に満足していなかったようです。
当然クララもこの話に賛成し、家族でデュッセルドルフに引っ越すことになります。
シューマンは、1850年から1854年までデュッセルドルフで過ごしました。

schumann

デュッセルドルフでシューマン夫妻は暖かく迎えられました。
シューマンはここで管弦楽団と合唱団の指揮を担当し、最初のコンサートも大成功を収めたそうです。

「ライン河の生活の一片」

精神的障害に悩まされていたシューマンですが、デュッセルドルフで歓迎されたことで作曲にも力が入ります。
デュッセルドルフへ移った年(1850年)に、彼は「チェロ協奏曲」「交響曲第3番」を書き上げました。

シューマンはライン川沿いを散歩することが好きだったそうです。
シューマンはこの作品を「ライン河の生活の一片」と呼びました。
「交響曲第3番」は、ライン河の様子だけではなく自分を迎えてくれたラインの人々や環境も表現しているのかもしれません。
ライン地方の人々は、明るく開放的な性格の人が多いと言われています。

シューマンの「ひと時の幸福な時間」が反映された作品が「交響曲第3番(ライン)」と言えるでしょう。
総譜の完成は1850年12月で、翌年1851年2月6日にデュッセルドルフでシューマン自身の指揮によって初演されました。

幸せは長くは続かなかった

ただデュッセルドルフでの幸福な時間は長くは続きませんでした。

1852年の終わりごろからは管弦楽団との関係が悪化してきます。
これはシューマンの精神的障害が悪化し、聴覚・言語にも影響が出てきたことも関係していると言われています。
シューマンの症状はその後も悪化を辿ることになっていきます。

曲の構成

第1楽章:Lebhaft(いきいきと)

ローレライ(ライン川にある130mほどの岩山)に関係が深いと言われています。
ローレライ付近は、河の流れが速く航行の難所でもあります。

N響アワーのオープニングでテーマ曲としても使われました。

第2楽章:スケルツォ Sehr mäßig(極めて穏やかに)

コブレンツからボンまでを描いていると言われています。
どちらもライン川沿いの街で、コブレンツから北に60km、電車で30分ほどのところにボンはあります。

第3楽章:Nicht schnell(速くなく)

ボンからケルンまでを描いていると言われています。
ボンからさらに北に30kmほど進むとケルンがあります。

第4楽章:Feierlich(荘厳に)

ケルンの大聖堂を描いていると言われています。

シューマンは1950年の9月と11月にケルンを訪れています。
そのときにケルン大聖堂で大司教の就任式に居合わせ、交響曲のヒントを得たとも言われています。

第5楽章:Lebhaft(いきいきと)

デュッセルドルフのカーニバルが描かれていると言われています。
ドイツ三大カーニバルに数えられる伝統的な行事で、1825年から現在までおこなわれています。

イースター(キリストの復活祭)の46日前の「Fastenzeit(断食期間)」の初日がこの日にあたります。
毎年11月11日午前11時11分開始し、今では仮装やイベントで盛り上がっています。
元々はカトリック色の強い宗教的なお祭りでした。

シューマン「交響曲第3番(ライン)」の名盤

ジュリーニ&ロサンジェルス・フィルハーモニック

シューマン「交響曲第3番(ライン)」の他に、ベートーヴェン「交響曲第5番(運命)」も収録されています。
名演としてクラシックファンの中でも人気の高い1枚です。

カルロ・マリア・ジュリーニ(Carlo Maria Giulini/1914年5月9日-2005年6月14日)
イタリア出身の指揮者
イタリア出身でありながらドイツ系レパートリーを得意とした。
1946年:ローマRAI交響楽団首席指揮者
1950年:ミラノRAI交響楽団首席指揮者
1953年:ミラノ・スカラ座の音楽監督
1969年:シカゴ交響楽団の首席客演指揮者
1973年:ウィーン交響楽団の首席指揮者
1978年:ロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督
1984年からはフリーとして活動。拠点をヨーロッパに絞り、多くの名門オーケストラに客演した。

ロサンジェルス・フィルハーモニック(Los Angeles Philharmonic)
アメリカ合衆国のオーケストラ
1978年から1984年までジュリーニが音楽監督を務めた。
夏にハリウッドボウルで野外コンサートを行なっている他、映画音楽の演奏でも有名。

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