シベリウスの交響詩「トゥオネラの白鳥」は、交響詩集『レンミンカイネン組曲』の第2曲に当たります。
※『四つの伝説曲』とも呼ばれます。
4曲からなりますが、「トゥオネラの白鳥」は8分程度の曲で、コンサートで単独で取り上げられることもあります。
タイトル通り「白鳥」を描いた音楽で、フィンランドの神話『カレワラ』の物語を題材としています。
ここではシベリウスの交響詩「トゥオネラの白鳥」の解説と名盤を紹介したいと思います。
交響詩「トゥオネラの白鳥」の演奏
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908年-1989年)
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)
ベルリンでワーグナーに影響を受けた
シベリウスはベルリン留学中(1890年)にワーグナーのオペラ(『タンホイザー』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)を観劇し、自らも国民的叙事詩『カレワラ』に基づいたオペラの構想を練りました。
1892年にシベリウスは母国フィンランドを題材にした作品「クレルヴォ交響曲」で成功を収めます。
この作品に続いて母国を題材にした曲に取り組もうとしたのです。
シベリウスに「オペラ」は合わなかった
そして1893年から台本制作にかかりワーグナーの研究などもしますが、「自分にはオペラより交響詩の方が向いているのではないか」と違和感を持ち始めます。
フィンランドの劇場支配人カールロ・ベルイボムにも相談しますが、オペラに否定的な意見が返ってきます。
オペラの序曲が基となった
シベリウスはオペラの制作を止め、その序曲を書き替え「トゥオネラの白鳥」を作曲しました。
この「トゥオネラの白鳥」を軸に3曲が足されたのが、『レンミンカイネン組曲』です。
残りの3曲
「レンミンカイネンと島の乙女たち」
「トゥオネラのレンミンカイネン」
「レンミンカイネンの帰郷」
は1895年から1896年にかけて作曲されました。
「英雄レンミンカイネン」を題材とした作品
こられの4曲は叙事詩『カレワラ』に基づいており、いずれも「英雄レンミンカイネン」について描いています。
それらを簡単に紹介します。
第1曲:レンミンカイネンと島の乙女たち
レンミンカイネンの結婚
レンミンカイネンは「女遊びの激しいイケメン」でした。
ここでは、彼が以下の条件付きでキュッリッキと結婚するまでを描いています。
1.レンミンカイネンは戦いに出ないこと
2.キュッリッキは踊りの輪に加わらないこと
第2曲:トゥオネラの白鳥
レンミンカイネンは「キュッリッキが約束を破った」ことに激怒します。
そして新しい妻を見つけるために北国ポホヨラへ向かい、妻を得るための3つの課題が与えられます。
1.ヒーシ(妖かしの森)の大鹿を捕らえること
2.そこにいる雄馬に「くつわ」をはめること
3.トゥオネラ川の白鳥を一矢で射ること
音楽はこの白鳥の様を表現しています。
第3曲:トゥオネラのレンミンカイネン
白鳥を射に向かったレンミンカイネンは、盲目の羊飼い「濡れ帽子」に出会います。
レンミンカイネンは「濡れ帽子のもつ水蛇」により殺されてしまいます。
そして黄泉の国に運ばれ、体を切り離されてしまいます。
第4曲:レンミンカイネンの帰郷
レンミンカイネンの母親は息子の救出に向かいます。
そしてバラバラになった身体を元に戻し、神の薬で生き返らせます。
レンミンカイネンは母親と共に故郷に帰ります。
音楽は、蘇生後の帰郷を描いています。
シベリウスの交響詩「トゥオネラの白鳥」の名盤
バルビローリ&ハレ管弦楽団
シベリウスの「交響曲第2番」と「トゥオネラの白鳥」が収録されています。
いずれも1966年にロンドンで録音されたものです。
ジョン・バルビローリ(John Barbirolli/1899年12月2日 - 1970年7月29日)
「サー・ジョン」(Sir John)の愛称で知られるイギリスの指揮者
客演したベルリン・フィルの団員を感動させ、レコード会社の垣根を超えてマーラー「交響曲第9番」の録音を実現させたという有名な伝説がある。
1925年:チェリストから指揮者に転向
1936年:30代の若さでニューヨーク・フィルハーモニックの首席指揮者に
1943年:イギリスのハレ管弦楽団の音楽監督(-1958年)となりオケの評価を高める
1961年:ヒューストン交響楽団の常任指揮者(-1967年)に
ハレ管弦楽団(The Hallé)
マンチェスターが本拠地のイギリスで最も伝統あるオーケストラ
第二次世界大戦によりオーケストラは存続の危機に陥ったが、バルビローリの尽力により再興した。
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