『ウェリントンの勝利(戦争交響曲)』は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven/1770年-1827年)によって1813年に作曲されました。

 正式名称は『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い(Wellingtons Sieg oder die Schlacht bei Vittoria)』

通称『戦争交響曲』と呼ばれる作品ですが、ベートーヴェンの交響曲と比べると短く15分程度の作品です。

イギリス軍の勝利(対フランス)を記念して作曲

この作品は「ビトリアの戦い」の勝者ウェリントン侯を称賛の意を込めて、ベートーヴェンが作曲しました。

 【ビトリアの戦い】
1813年、スペインのバスク地方での戦争。
イギリス軍のウェリントン侯(イギリス・ポルトガル・スペイン連合軍)とスペイン王ジョゼフ・ボナパルトとジュールダン元帥が率いるフランス軍が激突し、連合軍が勝利した。

「イギリス愛国歌」と「フランス民謡」が登場

曲の前半は戦いの様子が描かれており、太鼓やラッパが鳴ります。
そこにイギリスの愛国歌「ルール・ブリタニア」フランス民謡「マールボロは戦場に行った」が登場します。
フランス軍が敗れるとフランス民謡が短調で流れ、最後にイギリス軍の勝利が「国歌を変形した音楽」で盛大に祝われます。

火器が使用された作品

また戦争が題材であることから、演奏で火器が使用される珍しい作品でもあります。
当然ではありますが、火器を使ってのコンサートが聴ける機会はほとんどありません。

火器の使用している点で、本物の大砲が使われているチャイコフスキーの『1812年』とよく比較されます。

当時は大人気の作品だった

現在では聴く機会の少なくなった『ウェリントンの勝利』ですが、当時は大人気だったようです。

初演はハーナウの戦いで負傷したオーストリアやバイエルンの兵士のための慈善活動として開催され、ベートーヴェン自身が指揮しました。
交響曲第7番も同時に初演されたこのコンサートは、大成功を収めたそうです。
評判は交響曲第7番よりも、『ウェリントンの勝利』のほうがよかったと言われています。

さらに10年後には、ウィーンの文化人たちが連名で「第九の初演を『ウェリントンの勝利』と共にウィーンで演奏してくれ!」と嘆願書を出したそうです。

 結局、第九の初演では『ウェリントンの勝利』は演奏されることはありませんでした。

元々は「自動演奏機械」が演奏する予定だった!?

『ウェリントンの勝利(戦争交響曲)』は、元々はパンハルモニコンという自動演奏機械で演奏するために作られた曲でした。
パンハルモニコンは、ベートーヴェンの友人であるメルツェルが1805年に発明したもので、彼はビトリアの戦いの後にベートーヴェンに作曲を依頼したそうです。

 メルツェルは「メトロノームの特許(1816年)」を取得した人物としても知られています。
友人であるベートーヴェンも、メトロノームを使用したそうです。

この機械は下の絵のようなもので、楽器の音だけでなく銃声や大砲の音を出すこともできたと言われています。

作品が大きくなりすぎてオーケストラ用に編曲された

当初はこの自動演奏機械用の作品として作られましたが、作品が大きくなりベートーヴェンによってオーケストラ用に書き換えられました。
ちなみに『オケ版のウェリントンの勝利』は機械で演奏されることはありませんでしたが、機械用の小さな作品でメルツェルはヨーロッパツアーをおこないました。
しかし、この機械が好奇心以上の大きな注目を浴びることはなかったそうです。

その他の曲目一覧(目次)

その他の作品・あらすじ・歌詞対訳などは下記リンクをクリックしてください。

クラシック作品(目次)

オペラ作品(目次)

ミュージカル作品(目次)

歌詞対訳(目次)

ピアノ無料楽譜(目次)