ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven、1770年12月16日頃-1827年3月26日)の代表曲・名曲を年代を追って整理しています。
ここでは数ある作品の中から15作品を紹介します。

 それぞれのページへ移ると作品の詳細を解説してあります。

ベートーヴェンの32歳頃までの作品

 ・1770年12月16日頃:ドイツのボンに生まれる
・父はテノールの宮廷歌手、母は宮廷料理人
 ・1792年:ハイドンに弟子入りしウィーンに移住

「ピアノソナタ第8番(悲愴)」

作曲年:1797-1798年
ベートーヴェンの初期の代表作の一つです。
難易度もそれほど高くないことから、音楽愛好家の方々が演奏する機会も多くあります。
ベートーヴェンの最も有力な後援者の1人として有名な人物カール・リヒノフスキー侯爵へ献呈されました。

 ・20歳代後半ごろより持病の難聴が悪化し始める

「交響曲第1番」

作曲年:1799-1800年
ベートーヴェンの作曲した記念すべき1作目の交響曲で、初期の代表作として知られています。
ベートーヴェンの9つの交響曲のうち、第1番・第2番はハイドン・モーツァルトなどの古典派の作曲技法を受け継いで作曲されました。
そうは言っても、当時の人々にとってベートーヴェンの音楽はかなり斬新な音楽だったそうです。

「ピアノソナタ第14番(月光ソナタ)」

作曲年:1800-1801年
ベートーヴェンが31歳の時に作曲され、14歳年下の恋人だった伯爵令嬢ジュリエッタ・グイチャルディに捧げられました。
とても美しく印象的な旋律で、ベートーヴェンのピアノソナタの中でも屈指の人気を誇っています。
ベートーヴェンの耳が聞こえなくなりはじめた頃の作品とされています。

ベートーヴェンの32歳頃からの作品

 1802年:『ハイリゲンシュタットの遺書』を残し、自殺を考える

「ピアノ協奏曲第3番」

作曲年:1796年-1803年
ベートーヴェンはピアノ協奏曲を5曲書きましたが、これは唯一の短調の曲(ハ短調)です。
初演の独奏はベートーヴェン自身が務めました。
初演時に楽譜は完成しておらず、ベートーヴェンは即興でピアノを演奏したと言われています。

「交響曲第3番(英雄)」

作曲年:1803-1804年
「英雄」や「エロイカ」の名でも親しまれてる作品で、オーケストラの可能性を大きく広げた重要な作品として評価されています。
作風はもちろん、曲の長さも50分近くもあり、当時の交響曲では考えられない長さでした。

「ピアノソナタ第23番(熱情)」

作曲年:1804-1805年
ベートーヴェンの中期の最高傑作のひとつに数えられます。
「熱情」という通称はベートーヴェンによるものではなく、ハンブルクの出版社が出版の際に名付けたものです。
「交響曲第5番(運命)で使われている「運命の動機」は、この「熱情」の第1楽章でも用いられています。

「ヴァイオリン協奏曲」

作曲年:1806年
ベートーヴェンが作曲した唯一の「完成した」ヴァイオリン協奏曲で、中期の代表作としても知られています。
「ヴァイオリン協奏曲の王者」と呼ばれ、メンデルスゾーン・ブラームスの作品と共に「三大ヴァイオリン協奏曲」とも呼ばれる作品です。

「交響曲第5番(運命)」

作曲年:1807-1808年
クラシック音楽の代名詞と言っても過言ではないクラシック音楽を代表する作品です。
ハイドンの形式を守った最後の交響曲でもあります。
この頃のベートーヴェンの聴覚はかなり悪化しており、会話もままならぬ状態だったそうです。

「交響曲第6番(田園)」

作曲年:1808年
交響曲の中では、ベートーヴェンによって標題がつけられた唯一の作品です。
第3楽章からは楽章が途切れることなく連続して演奏されるこの作品は、シューマン、メンデルスゾーン、リストなどの後世の偉大な作曲家に大きな影響を与えました。

「ピアノ協奏曲第5番(皇帝)」

作曲年:1809年
チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」、グリーグの「ピアノ協奏曲」とともに「三大ピアノ協奏曲」と呼ばれることもあります。
ナポレオンがウィーンを占領(1809年5月)した頃の作品で、ウィーンが動乱の最中で作曲されました。
有名な「皇帝」という名称はベートーヴェン自身が付けたものではなく、出版社が付けたものです。

 ・40歳頃からはほとんど耳が聞こえなくなる

「ピアノソナタ第26番(告別)」

作曲年:1809-1810年
「告別(Das Lebewohl)」の標題は、ベートーヴェン自身が付けたものです。
この作品は「オーストリアとフランスの戦争」に深く関係していると言われています。
1809年4月、オーストリアとフランスは戦争状態に突入します。
半年ほど戦争が続いた後、11月にフランス軍はようやくウィーンからいなくなりました。

「エリーゼのために」

作曲年:1810年
約3分の短いピアノ小品です。
ベートーヴェンの作品の中でも「最も知名度の高い作品」の一つとして挙げられます。
「エリーゼとは誰なのか?」ということがしばしば議論の的となりますが、現在の研究ではテレーゼ・マルファッティ(ベートーヴェンの愛した女性)ではないかと言われています。

「交響曲第7番」

作曲年:1811-1813年
この作品はリズムが印象的で、現代でも人気のある曲の一つです。
作曲家からの評価は様々で、リストが「リズムの神化」、ワーグナーが「舞踏の聖化」と大絶賛している一方で、ウェーバーはあまり評価していません。

ベートーヴェンの45歳頃からの作品

「交響曲第9番《合唱》」(第九)

作曲年:1822-1824年
「第九」は日本だけではなく、世界中から高い評価を受けている作品です。
EUでは、EUの統一性を象徴するものとして採択されています。
第九は、「第2次世界大戦終戦後のバイロイト音楽祭」や「ベルリンの壁崩壊の記念コンサート」でも演奏されました。

また、交響曲で効果的に声楽を使った初めての作品でもあります。
年末になると、日本のいたるところで第4楽章の「歓喜の歌(合唱)」が聴こえてきます。

「弦楽四重奏曲第14番」

作曲年:1825-1826年
ベートーヴェンが亡くなる前年の作品で、最晩年の傑作の一つとして知られています。
ベートーヴェンにとってこの作品は自信作だったようで、友人に「新しい作曲法だ、神に感謝しないと。以前に比べて、まだ創造力は衰えていないよ。」と語ったそうです。

 1826年12月:急激に体調が悪化しだす
1827年3月26日:56年の生涯を終える
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