ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet/1838年~1875年)の組曲「アルルの女」は、1872年に作曲されました。
この作品はオペラ「カルメン」とともに彼の代表作として知られています。
曲中では、クラシック音楽ではあまり使われないアルトサックスも登場します。
ここではビゼーの組曲「アルルの女」の解説と名盤を紹介したいと思います。
ドーデの短編小説をもとにした戯曲
オーケストラのコンサートで聴くことが多い「アルルの女」ですが、この作品には物語があります。
この作品はドーデの短編小説をもとにしたもので、そこに音楽を付けたものです。
アルルの女に心を奪われた男の悲劇
この物語の舞台はフランス南部のいわゆるプロヴァンス地方で、アルルも同じくフランス南部の地方を指します。
アルルは田園が広がる場所で、ローマ時代の遺跡も残る古い街並みが特徴的です。
南フランスの裕福な農家の息子であるフレデリは、婚約者がいるにもかかわらずアルルの闘牛場で見かけた女性に恋をしてしまいます。
恋の病で体調も崩していったフレデリでしたが、アルルの女のことは忘れて婚約者と結婚することを決意します。
そんな中、アルルの女の恋話を聞いたフレデリは再び恋に悩まされ、嫉妬に狂い、ついには高い塔から身を投げて自ら命を絶ってしまうのです。
アルルの女は登場しない
この作品のタイトルは「アルルの女」ですが、劇には一度も登場しません。
そしてこのアルルの女には名前もありません。
アルルは地名を表しますので、例えば「千葉の女」のようなもので、とても抽象的なものなのです。
初演は成功しなかった
「アルルの女」は27曲から成り、それをビゼーはわずか数週間で書き上げたと言います。
パリのヴォードヴィル座からの依頼であったこの作品なのですが、契約上小編成のオーケストラしか使えないことも重なって、1872年の初演は成功しませんでした。
現在演奏されるのは「アルルの女」のベスト盤
現在の「アルルの女」は第1組曲と第2組曲から成っています。
この第1組曲はビゼーが全27曲の中から演奏会用に4曲をピックアップして作られたものです。
一方、第2組曲はビゼー友人のエルネスト・ギローが、ビゼーの死後の4年後にピックアップして作りました。
内容は残りの23曲の中からの3曲と、ビゼーのオペラ「美しきパースの娘」から転用したもので構成されています。
ビゼーの死後、大ヒット
「アルルの女」は初演から6年後の再演で評価を得て、人気が出ます。
「アルルの女」の作曲からわずか3年後の37歳の時に亡くなってしまったビゼーは、この作品の大ヒットを見届けることはできませんでした。
ちなみにビゼーの代表作のオペラ「カルメン」も彼の死後に大ヒットしています。
19歳でローマ大賞を受賞し若い頃から注目を浴びたビゼーですが、生前はヒット作に恵まれませんでした。
偉大な傑作を作曲しながらも日の目を浴びることなく、苦い思いをして一生を終えたのがビゼーなのです。
ビゼー以外の「アルルの女」
ビゼー以外にも「アルルの女」を題材にしたものがありますので、ここでは簡単に紹介したいと思います。
ゴッホの「アルルの女」
一つは1890年にゴッホが描いた絵「アルルの女」です。
ただし、これはドーデの短編小説「アルルの女」とは関係ありません。
アルルのカフェの経営者がモデルとされています。
チレアのオペラ「アルルの女」
フランチェスコ・チレアが作曲したオペラ「アルルの女」は、ビゼーと同じくドーデの短編小説「アルルの女」をもとにしたオペラです。
オペラ自体は演奏されることは少ないですが、劇中に歌われるテノールのアリア「フェデリーコの嘆き」はテノール屈指の名アリアとして知られています。
三大テノールはもちろん、アルフレード・クラウスなど歴代の名テノールの多くの録音が残っています。
ビゼーの組曲「アルルの女」の名盤
こちらは名盤として知られている録音で、1964年にアンドレ・クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団によって演奏されたものです。プロヴァンス地方にいる様な優雅で美しい音楽に浸れます。
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