項目 | データ |
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作品 | 交響曲第1番 |
作曲年 | 1764年 |
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart/1756年~1791年)の「交響曲第1番」は1764年に作曲された作品で、彼にとって記念すべき初めての交響曲です。
第2楽章でホルンが演奏する「ド・レ・ ファ・ミ」の音型(ジュピター主題)は、この音型の名が示す通りモーツァルトの最後の交響曲である「交響曲第41番(ジュピター)」の終楽章でも用いられています。
モーツァルトの最初の交響曲と最後の交響曲に共通項があるのは何とも面白いですね。
初演がいつかはわかっておりませんが、モーツァルトの父親であるレオポルトが開催したロンドンでのコンサート(1765年2月15日・ヘイマーケットの小劇場)で演奏されたのではないかと言われています。
ここではモーツァルトの「交響曲第1番」の解説と名盤を紹介したいと思います。
神童モーツァルト
モーツァルトの「交響曲第1番」は彼が8歳の頃の作品ですが、彼の神童ぶりはそれ以前から発揮されています。
モーツァルトは3歳頃からチェンバロを学び始めたそうですが、5歳の頃には既に作曲をおこなっていたそうです。
ヨーロッパ大旅行
そんなモーツァルトの才能を一層開花させたのが、彼が7歳から10歳までの3年半に渡って旅したヨーロッパ旅行でした。
この 「交響曲第1番」は、その大旅行中のロンドン滞在時(1764年~1765年)に書かれた作品です。
ロンドン滞在時に作曲した交響曲のうちの1つ
当時のロンドンの音楽は輸入されたものが多く、交響曲自体はドイツ音楽が強い影響力を持っていました。
カール・フリードリヒ・アーベル (1723年~1787年)やヨハン・クリスティアン・バッハ(1735年~1782年/大バッハの第11男・末っ子)などがそれにあたります。
ヨハン・クリスティアン・バッハはヘンデルの後継者で「ロンドンのバッハ」とも呼ばれており、彼はバッハ一族の音楽伝統とイタリアの新しい音楽をモーツァルトに教えたそうです。
モーツァルトは彼らの作品を手本としてこの頃に5曲の交響曲を書きました。
「交響曲第1番」はモーツァルトの没後に発見されたのですが、楽譜に1764年として記されていたため、このロンドン滞在中に書かれた作品のうちの1つだと考えられています。
モーツァルト「交響曲第1番」の名盤
レヴァインとウィーン・フィルによるモーツァルトの交響曲全集がお手頃価格で手に入ります。
美しい豊かなウィーン・フィルの響きが楽しめます。
モーツァルトの交響曲全集を探している場合は、候補に入れておきたいCDに間違いないと思います。
録音時期:1984-1990年
録音場所:ウィーン(ムジークフェラインザール)
ジェームズ・レヴァイン(James Levine/1943年6月23日 -)
アメリカの指揮者、ピアニスト
1970年にフィラデルフィア管弦楽団の客演指揮者として指揮者デビュー。
メトロポリタン歌劇場との関係が深く、1971年の『トスカ』で初めて指揮をふり、1975年より音楽監督、1986年からは同劇場で史上初の芸術監督に就任した。
1999年:ミュンヘン・フィルの音楽監督に就任
2004年:小澤征爾の後任としてボストン交響楽団の音楽監督に就任
その他の録音
ベーム&ベルリン・フィル
交響曲のボックスセットとしては、こちらのベーム指揮のものも有名です。
ベートーヴェン(ウィーンフィル)、ブラームス(ウィーンフィル)、モーツァルト(ベルリンフィル)、シューベルト(ベルリンフィル)の交響曲が22枚組で収録されています。
カール・ベーム(Karl Böhm/1894年8月28日-1981年8月14日)
オーストリアの指揮者で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者
1931年:ハンブルク国立歌劇場音楽監督に就任
1934年:ドレスデン国立歌劇場総監督に就任
1943年:ウィーン国立歌劇場総監督に就任
1964年:オーストリア音楽総監督の称号を授けられる
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