アントン・ブルックナー(Anton Bruckner/1824年~1896年)の「交響曲第8番」は、1887年に第1稿が完成した彼にとって10曲目の交響曲です。
後期ロマン派を代表する作品であり、演奏時間が80分を超える大曲でもあります。
彼が亡くなる4年前に初演された作品で、彼の交響曲の集大成と評されることもあります。
第2楽章の中間部ではブルックナーの交響曲の中で初めてハープが登場し、これは天国を彷彿させる音楽です。
またこの第2楽章のハープで用いられた上行アルペジョが、第3楽章でも用いられていることも印象的です。
このように「交響曲第8番」は宗教的な音楽の性格があるのですが、その一方で第4楽章では一変して世俗的な一面も出てきます。
ここではそんなブルックナーの「交響曲第8番」の解説と名盤を紹介したいと思います。
ブルックナーと改訂
ブルックナーを語るには「改訂」は欠かせません。
ブルックナーは自らの作品を完成後に書き直す癖があり、彼の作品は改訂と共に歩んできました。
例えば1876年に第1回バイロイト音楽祭でニーベルングの指環の初演を聴いた際に、ブルックナーはその音楽に衝撃を受けます。
そしてブルックナーは自身の作品の改訂を決意し、交響曲の1番から5番までを改訂してしまいます。
そのような改訂癖は、この「交響曲第8番」も例外ではありませんでした。
演奏不可能と評された8番
この「交響曲第8番」は、「交響曲第7番」の初演の準備をしていた1884年に作曲が開始され1887年に第1稿が完成しました。
作品に手ごたえを感じていたブルックナーは、敬愛する指揮者、ヘルマン・レヴィに作品が完成したことを手紙に記します。
そして、レヴィに演奏してほしいと頼みます。
しかしながら、レヴィの返答は「NO」でした。
レヴィは「演奏不可能」だとブルックナーに伝えたのです。
そしてレヴィだけではなくブルックナーの弟子たちにもこの作品は不評であったそうです。
大きく落胆したブルックナーは、作品を改訂することを決意します。
これをきっかけに第8番だけでなく、交響曲第3、4番も再び改訂されることとなります。
紆余曲折あった初演は成功
改訂後の初演にあたって、レヴィはワインガルトナーを指揮者として推薦します。
しかしワインガルトナーが断ったため、ハンス・リヒターが指揮を務めることになりました。
初演は1892年にウィーンフィルの定期演奏会(ウィーン楽友協会の大ホール)でおこなわれ、紆余曲折あったこの作品ですが成功を収めました。
客席にはヴォルフやブラームスもいたそうです。
この演奏会の成功によりブルックナーは、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世によるものを含めて3つの大きな月桂冠を授けられました。
これによりブルックナーは名実ともに名音楽家としての評価を確立していきます。
作品は皇帝フランツ・ヨーゼフに献呈され、皇帝はブルックナーの頼みを受けいれ楽譜の出版費用1500グルテンを支払ってくれました。
ブルックナー「交響曲第8番」の名盤
ギュンター・ヴァント指揮、ベルリンフィルによる録音です。名曲ゆえに多くの録音が残されていますが、壮大で美しい音楽が堪能できる外すことのできない名盤です。
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