ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms/1833年~1897年)の交響曲第3番は、1883年5月から10月にかけて作曲されました。
ブラームスが50歳の時のことでした。
ブラームスは4曲の交響曲を書きましたが、その中では最も演奏時間が短い曲です。
ドイツ音楽の3大Bと言えば、ブラームスの他にバッハとベートーヴェンが挙げられます。
この2人と比べるとブラームスはやや通よりの音楽家と言えるでしょうか。
演奏頻度は決して高いとは言えませんがこの音楽には美しいメロディも多く、映画やCMにも使われています。
平原綾香さんのアルバム「my Classics 3」の中の「ブラームスの恋」や 大貫妙子さんのアルバム「ATTRACTION」の中の「昨日、今日、明日」はこのブラームスの音楽に歌詞をつけて歌われたものです。
また外国でもサンタナやフランク・シナトラが歌詞をつけて歌っています。
一瞬で耳に残る印象的な場面は少ないですが、聴くたびに味を感じる名曲の一つです。
ここではブラームス「交響曲第3番」の解説と名盤を紹介したいと思います。
初演は大成功
このブラームスの「交響曲第3番」は1883年にハンス・リヒターの指揮により、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートで演奏されました。
指揮をしたハンス・リヒターは、交響曲第3番はブラームスの「英雄」であると言ったそうです。
ブラームス派とワーグナー派の対立
当時のドイツ音楽界は、ブラームス派とワーグナー派で対立がありました。
ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」と、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」が共に大成功を収めてからはこの対立はさらに激しくなったと言われています。
ロマン派の時代にドイツの音楽評論で活躍したエドゥアルト・ハンスリックは器楽の音楽は器楽の響きに美しさを求めるべきだと主張していました。
これを当時のブラームスやシューマンは支持していました。
一方でこの頃は標題音楽が出て来た時代でもあります。
これらの筆頭であったワーグナーやリストは、ブラームス派と大きく対立していたわけです。
歴史を大切にするブラームス派と音楽を革新的に進めていくワーグナー派は交わらないのは当然かもしれません。
どちらも素晴らしい音楽に間違いないですが、いつの時代も革命が起きる時には対立するものなのですね。
交響曲第3番が初演されたのは1883年にワーグナーが亡くなって間もなくの時期でしたので、ワーグナー派からの風当たりはとても強いものでした。
初演は大成功でしたが、ワーグナー派からの反応は厳しいものであったそうです。
ブラームス「交響曲第3番」の名盤
カラヤンとベルリンフィルによるブラームスの交響曲全集がお得な価格で手に入ります。
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一昔前では考えられない世の中になりましたね。
70年代の録音で、カラヤンに勢いがあり脂が乗っている頃の名盤です。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908年4月5日-1989年7月16日)
オーストリアの指揮者
1955年から1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務める。
ウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督も務めるなど、歴史上最も偉大な指揮者の一人である。
日本には11度も来日しており、日本人には小澤征爾が師事したことでも知られている。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)
世界を代表するオーケストラの一つで、日本において絶大な人気を誇る。
重厚なドイツ的サウンドを奏でながらも、バラエティに富んだプログラムを演奏し常に世界の最先端をリードしている。
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