フランツ・リスト(Franz Liszt)の交響詩「前奏曲(プレリュード)」は、1854年に作曲されました。
この曲にはフランスの詩人ラマルティーヌの「人生を死への一連の前奏曲とみなす」という序文が付されています。

リストは生涯で交響曲を13曲書きましたが、その中でも代表的な作品です。
ラストのファンファーレは、ナチスドイツのラジオ特別放送や独ソ戦戦況発表時の開始音楽で使われたことでも知られています。
曲を聴くとそのような場面で使われるのも納得できる、勇ましさを持った音楽です。

ちなみに残念ながらこの「前奏曲(プレリュード)」以外のリストの交響詩が演奏される機会は、現在ではあまりありません。
多くの人が「リストの交響詩=前奏曲(プレリュード)」という印象を持っていることでしょう。

ここではリストの交響詩「前奏曲(プレリュード)」の解説と名盤を紹介したいと思います。

交響詩を初めて作ったリスト

交響詩とは自由な楽曲の形式を持ち、基本的には単一楽章で途切れることなく演奏されるのが特徴的です。
標題音楽が発展していったもので、音楽の中で詩的であったり絵画的な内容を表現するものとして19世紀半ばに生まれました。
その交響詩を初めて書いたのがリストで、絶対音楽を特徴とするブラームスとは対照的な音楽を作りだしました。

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この頃のヨーロッパは各地で戦争が起こっており、決して幸福な時代とは言えませんでした。
そのような時代で人間の本質に迫ろうとしたのが、リストの交響詩だったのかもしれません。
リストの人生はピアニスト時代(1830年~1850年)、ワイマール時代(1850年~1860年)、晩年(1860年~)に分けられることがありますが、交響詩の多くはワイマール時代に作曲されました。

元々は男声合唱の曲

交響詩「前奏曲(プレリュード)」は、リストが1848年に作曲した男声合唱曲「四大元素(Les quarte éléments)」をもとに作られています。
これはフランスの詩人オートランの詩をもとに作曲されています。

この元の曲を再構成しフランスの詩人ラマルティーヌ同名の詩を用いて標題を加え交響詩は作り上げられました。
初演は1854年2月23日にワイマールでリスト自身の指揮によりおこなわれました。

リストの交響詩「前奏曲(プレリュード)」の名盤

こちらはカラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるものです。
ベルリンのイエス・キリスト教会で録音されたもので、「前奏曲」は1967年4月のものです。
1960年から1971年の録音を集めたものになっています。

ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908年4月5日-1989年7月16日)
オーストリアの指揮者

1955年から1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務める。
ウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督も務めるなど、歴史上最も偉大な指揮者の一人である。
日本には11度も来日しており、日本人には小澤征爾が師事したことでも知られている。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)
世界を代表するオーケストラの一つで、日本において絶大な人気を誇る。
重厚なドイツ的サウンドを奏でながらも、バラエティに富んだプログラムを演奏し常に世界の最先端をリードしている。

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