項目データ
作曲1845-1848年
出版1849年
献呈Eduard Liszt(リストの叔父)
 エドゥアルト(Eduard Liszt/1817-1879)は、リストの叔父ですが、リストより年下の人物です。
エドゥアルトは1879年に亡くなるまで、リストの音楽活動における業務を30年以上に渡り担当していました。

「ため息(Un Sospiro)」は、ハンガリー出身のピアニスト・作曲家のフランツ・リスト(Franz Liszt/1811年-1886年)によって作曲されました。
彼の作品の中でも、愛されている作品の一つに数えられます。

1849年に出版された『3つの演奏会用練習曲』の第3曲に当たります。
リスト自体は曲にタイトルはつけていませんが、出版の際にそれぞれ
・第1曲 「悲しみ(Il lamento)」
・第2曲 「軽やかさ(La leggierezza)」
・第3曲 「ため息(Un Sospiro)」
というタイトルが付けられました。

 一度はタイトル付きで出版された『3つの演奏会用練習曲』でしたが、その後リストが生きている間は楽譜にタイトルは掲載されませんでした。
リストが意図的にタイトルを消したかどうかは、現在のところはまだわかっていません。

またこの作品は、リスト自身も愛した作品だったようです。
リストは、晩年までこの作品を自身のレパートリーとして演奏していました。

マリーと別れた直後の作品

リストはその甘いマスクから、ピアニストとして絶大な人気を誇っていました。
ファンの女性が失神したエピソードも残っており、女性にはモテモテだったそうです。

そんなリストはマリー・ダグー伯爵夫人と1835年から1844年まで同棲生活を送り、3人の子供も授かりました。
二人は1844年に別れました。
『3つの演奏会用練習曲』の作曲が開始されたのが1845年と考えられていますので、ちょうどその後の作品ということになります。

 子供の一人は、後にハンス・フォン・ビューローとリヒャルト・ワーグナーの妻になるコジマです。

作曲に専念したリスト

リストは1847年に別の女性と恋に落ちますが、複雑な事情が絡み結婚には至りませんでした。
その後、1848年にリストはヴァイマルの宮廷楽長に就任します。(1859年に辞任)

リストはこのヴァイマルの地で作曲活動に専念するようになります。
『3つの演奏会用練習曲』が出版されたのは、宮廷楽長就任の1年後の1849年のことでした。

リスト「ため息」の演奏

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