ルイージ・イッリカ

生年月日:1857年5月9日
没年月日:1919年12月16日(62歳)
職業:オペラの台本作家
代表作:『ボエーム』『トスカ』『蝶々夫人』『アンドレア・シェニエ』

プッチーニやジョルダーノ、マスカーニなどのオペラの台本を書いた。
自己主張が強く、気性の荒い性格だった。

イッリカは、ヴェリズモオペラにおいて重要なオペラ台本作家です。

プッチーニは、ヴェルディ亡き後のイタリアオペラ界を支えましたが、彼の作品の多くはイッリカの台本によるものです。
またヴェリズモオペラの代表作『アンドレア・シェニエ』も、イッリカが台本を書きました。

イッリカの功績は、1961年に創設されたルイージ・イッリカ国際賞として現在の芸術家に受け継がれています。

イッリカの生涯

国外を放浪するヤンチャな性格

ルイージ・イッリカは、イタリア北部のカステッラルクアートで生まれました。
父親は弁護士でした。

小さい頃はヤンチャで、ルールを守ることが嫌いだったようで、勉強熱心ではありませんでした。
またイタリア軍の一員としてオスマン帝国と戦ったとも言われています。

しばらく国外を放浪していたイッリカですが、イタリアに戻ると次第に文学に傾倒していきます。

イッリカは、20代の頃に文学雑誌を創刊し、詩集も発表します。
その中でも演劇に特に熱を入れ、多くのコメディ作品を書きました。

やがて30代半ばになると、イッリカはオペラの台本を書き始めるようになります。

ジュゼッペ・ジャコーザとの出会い

リコルディの仲介で、イッリカは台本作家ジャコーザと出会います。
この出会いにより、イッリカの人生は大きく変わりました。

2人はコンビを組み、当時の作曲家プッチーニのためにオペラの台本を書きます。
プッチーニとイッリカ、ジャコーザは「黄金トリオ」とも呼ばれ、3人で3つの名オペラ作品(『ボエーム』『トスカ』『蝶々夫人』)を生み出しました。

台本の作り方は、イッリカが原作をまとめ、ジャコーザが韻文として仕上げるやり方でした。

ジャコーザの死後、プッチーニとイッリカが再び共に仕事をすることはありませんでした。
自己主張の強いもの同士だったため、性格が合わなかったのかもしれません。
実際に「黄金トリオ」は、性格の穏やかなジャコーザが潤滑油の役割を果たしていました。

ジョルダーニとマスカーニの台本

イッリカ単独でのオペラ台本としては、ジョルダーノの『アンドレア・シェニエ』やマスカーニの『イリス』が有名です。

『アンドレア・シェニエ』はヴェリズモオペラの傑作として名高いです。
また『イリス』は日本を舞台にした作品で、時々日本でも演奏される機会があります。

女性トラブルで右耳を失ったイッリカ

イッリカは女性を巡った戦いで、右耳を失ってしまいました。
そのためイッリカの写真は、全て右耳が隠れています。

この事件からも、彼の気性の荒さが感じられます。

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