作品 | 交響曲第38番 |
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作曲家 | モーツァルト |
作曲年 | 1786年12月6日 |
初演 | 1787年1月19日(プラハ) |
演奏時間 | 25分程度 |
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart/1756年~1791年)の「交響曲第38番(プラハ)」は1787年1月19日にプラハにて初演されました。
その地名をとって「プラハ」の愛称でも親しまれています。
この後に続くモーツァルトの「三大交響曲」と共に人気・評価の高い作品で、翌年に作曲された「ドン・ジョヴァンニ」を彷彿させるような力強い表現も感じとることができます。
これらはモーツァルトにとって最後の交響曲で、39番と41番の演奏を聴く前にモーツァルトは亡くなったと考えられています。
また前年に書かれた「フィガロの結婚」のスザンナとケルビーノの二重唱(Aprite presto aprite)に似た音楽も第3楽章に登場します。
この二重唱はケルビーノがフィガロから隠れるために2階から飛び降りるシーンです。
1分ほどの短い音楽ですので普段オペラを観ない方も聴いて比較してみると面白いかもしれません。
またこの作品は後期の交響曲で唯一メヌエット楽章のない3楽章で構成されています。
ここではモーツァルト「交響曲第38番(プラハ)」の解説と名盤を紹介したいと思います。
モーツァルト「交響曲第38番(プラハ)」の演奏
[00:00]第1楽章:Adagio-Allegro[10:22]第2楽章:AAndante
[18:56]第3楽章:APresto
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)
指揮:カール・ベーム(Karl Böhm/1894年-1981年)
「フィガロの結婚」の大ヒット
モーツァルトの代表作として外せないのがオペラ「フィガロの結婚」です。
この「フィガロの結婚」は1786年にパリで初演されると同時にヒットし、プラハの街でも人気を博します。
それはウィーンでの人気とは比べ物にならないほどで、プラハの街を歩く人たちは鼻歌で「フィガロの結婚」を歌っていたと言います。
モーツァルトもその光景にとても感激したそうで、父親に手紙でも知らせています。
そしてその作曲者としてモーツァルトは1787年1月に招待されたのでした。
彼にとって初めてのプラハでした。
モーツァルトはこのプラハの地で、「フィガロの結婚」を自ら指揮しています。
プラハでの初演
そしてこの1787年1月の旅行中に演奏されたのが「交響曲第38番(プラハ)」です。
初演されたのはプラハですが、この作品自体はプラハを訪れる前から既に完成していたようです。
この交響曲はモーツァルトが約3年ぶりに書いた交響曲でした。
この期間に交響曲こそ書いていませんでしたが、モーツァルトは12曲のピアノ協奏曲や弦楽四重奏曲集「ハイドン・セット」などを作曲しています。
「ドン・ジョヴァンニ」でプラハを再訪
プラハで大人気となったモーツァルトは、すぐにプラハのエステート劇場からオペラの作曲を依頼されます。
そして翌年1788年に完成したのが「ドン・ジョヴァンニ」です。
この「ドン・ジョヴァンニ」の初演のためにモーツァルトは2度目のプラハを訪れることになります。
モーツァルト「交響曲第1番」の名盤
レヴァインとウィーン・フィルによるモーツァルトの交響曲全集がお手頃価格で手に入ります。
美しい豊かなウィーン・フィルの響きが楽しめます。
モーツァルトの交響曲全集を探している場合は、候補に入れておきたいCDに間違いないと思います。
録音時期:1984-1990年
録音場所:ウィーン(ムジークフェラインザール)
ジェームズ・レヴァイン(James Levine/1943年6月23日 -)
アメリカの指揮者、ピアニスト
1970年にフィラデルフィア管弦楽団の客演指揮者として指揮者デビュー。
メトロポリタン歌劇場との関係が深く、1971年の『トスカ』で初めて指揮をふり、1975年より音楽監督、1986年からは同劇場で史上初の芸術監督に就任した。
1999年:ミュンヘン・フィルの音楽監督に就任
2004年:小澤征爾の後任としてボストン交響楽団の音楽監督に就任
その他の録音
ベーム&ベルリン・フィル
交響曲のボックスセットとしては、こちらのベーム指揮のものも有名です。
ベートーヴェン(ウィーンフィル)、ブラームス(ウィーンフィル)、モーツァルト(ベルリンフィル)、シューベルト(ベルリンフィル)の交響曲が22枚組で収録されています。
カール・ベーム(Karl Böhm/1894年8月28日-1981年8月14日)
オーストリアの指揮者で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者
1931年:ハンブルク国立歌劇場音楽監督に就任
1934年:ドレスデン国立歌劇場総監督に就任
1943年:ウィーン国立歌劇場総監督に就任
1964年:オーストリア音楽総監督の称号を授けられる
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