リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss/1864年~1949年)の「家庭交響曲」は1902年から1903年にかけて作曲されました。
初演はシュトラウス自身の指揮によって1904年にカーネギー・ホールでおこなわれました。
ここではリヒャルト・シュトラウス「家庭交響曲」の解説と名盤を紹介したいと思います。
交響詩を発展させたシュトラウス
ハンガリー出身でドイツやオーストラリアで活躍した音楽家であるフランツ・リスト(Franz Liszt/1811年~1886年)は、交響詩の生みの親としても知られています。
その交響詩をドイツで発展させたのが、リヒャルト・シュトラウスでした。
シュトラウスは1888年から1898年までの10年間で「ドン・ファン」「マクベス」「死と変容」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ツァラトゥストラはこう語った」「ドン・キホーテ」「英雄の生涯」といった交響詩を作曲します。
1900年以降は交響詩を書かなくなった
そんなシュトラウスですが、1900年以降は交響詩は作曲しませんでした。
それ以降に作曲された大きな管弦楽曲はこの「家庭交響曲」と1915年の「アルプス交響曲(Eine Alpensinfonie)」と、いずれも交響曲と名付けられています。
シュトラウスの家庭を描いた「家庭交響曲」
この「家庭交響曲」はシュトラウスの家庭が描かれたものです。
最初に登場する主人の主題は、楽譜にgemächlich(のんびりとした・ゆっくりとした)やträumerisch(夢見るような・夢見心地の)と書かれています。
またその後の妻の主題にはsehr lebhaft(とても活発な・元気な・派手な)と書かれています。
主人はもちろんシュトラウス自信を指し、妻とはソプラノ歌手であったシュトラウスの妻、パウリーネ・デ・アーナを指します。
シュトラウスの妻はとても自己主張が強く、シュトラウスはいわゆる尻に敷かれるような関係だったようです。
典型的なソプラノ歌手の気質だったというわけですね。
尻に敷かれているシュトラウスですが、「家庭交響曲」では夫の主題のへ長調が曲の最後を支配します。
「主人はオレだ」とシュトラウスが叫んでいるのが聴こえてくるかのようです。
シュトラウスの家庭の様子と、シュトラウスの心情が面白く表現されているのがこの「家庭交響曲」なのです。
ちなみにシュトラウスは1898年に作曲した「英雄の生涯」のヴァイオリン・ソロでも妻を表現しています。
またオペラ「影のない女」(1914年~1917年)に登場する役<染物師の妻>もシュトラウスの妻がモデルだと言われています。
激しい性格で恐妻家として知られていたシュトラウスの妻は、彼の中でとても大きな存在であったことは間違いないようです。
リヒャルト・シュトラウス「家庭交響曲」の名盤
カラヤン指揮、ベルリンフィルによる演奏です。
カラヤンはシュトラウスの作品を多く録音していますが、この「家庭交響曲」を録音したのは1度きりでした。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908年4月5日-1989年7月16日)
オーストリアの指揮者
1955年から1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務める。
ウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督も務めるなど、歴史上最も偉大な指揮者の一人である。
日本には11度も来日しており、日本人には小澤征爾が師事したことでも知られている。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)
世界を代表するオーケストラの一つで、日本において絶大な人気を誇る。
重厚なドイツ的サウンドを奏でながらも、バラエティに富んだプログラムを演奏し常に世界の最先端をリードしている。
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