項目 | データ |
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作曲年 | 1889年8月26日-11月8日 |
初演 | 1890年2月2日 |
演奏時間 | 35-40分 |
アントニン・ドヴォルザーク(Antonín Dvořák/1841年-1904年)の『交響曲第8番』は、1889年にチェコのボヘミアで作曲された作品です。
ドヴォルザークの他の交響曲とは対照的に、明るく陽気な作品になっています。
また交響曲第9番ほどの人気はありませんが、彼の交響曲の中でも演奏される機会の多い作品です。
ボヘミアの避暑地で作曲された
ドヴォルザークは夏季の2か月半の間(1889年8月26日~11月8日)を、ヴィソカ(チェコのボヘミアにある村)にある避暑地で過ごしました。
そこで作曲された作品が『交響曲第8番』です。
ドヴォルザークは「ブラームスの影響を受けている」と言われますが、『交響曲第8番』はチェコで作曲された作品らしく、チェコ風の明るく抒情的な作品に仕上がっています。
ドヴォルザークは第7番までとは全く違ったものを、8番では表現しています。
それは陽気な抒情的な音楽で、彼が愛したボヘミアの音楽から影響を受けたものでした。
初演から好評を博した『交響曲第8番』
初演はプラハの国立劇場で、ドヴォルザークの指揮によって演奏されました。
初演は成功を収め、翌11月にはフランクフルトでも演奏されました。
そして翌年には、ドヴォルザークのケンブリッジ大学名誉音楽博士号を授与の際にも演奏されています。
またロイヤル・フィルハーモニック協会でも数回にわたり取り上げられています。
ドヴォルザーク自身もここの名誉会員です。
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団やロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とは直接関係はありません。
ハンス・リヒターも称賛
当時の名指揮者ハンス・リヒターは、ドヴォルザークの音楽を好んだことで知られています。
ウィーンとロンドンでの『交響曲第8番』の初演は、ハンス・リヒターが指揮しました。
ウィーンでの初演の後、彼はドヴォルザークに「初演は大成功だった。観客も心のこもった暖かい拍手をくれた。」との旨の手紙を書いています。
かつては「イギリス」の愛称で呼ばれていた
『交響曲第8番』は、以前は「イギリス」の愛称で呼ばれていました。
これはイギリス(ロンドン)の出版社から出版されたことによるものです。
当時ドヴォルザークはジムロック社(ドイツの音楽出版社)と出版契約を結んでいました。
ジムロック社はドヴォルザークに十分な作曲料を渡さず、『交響曲第8番』も「作品が大きく売れ行きが良くない」という理由で買い叩こうとしました。
またジムロック社は楽章のタイトルと作曲者名を「ドイツ語」で出版したいと提案しました。
ボヘミアに誇りを持つドヴォルザークは、これももちろん拒否しました。
結局、憤慨したドヴォルザークは、ノヴェロ社(ロンドンの音楽出版社)に作品を渡してしまったのです。
そのため「イギリスの出版社から出版された」だけであって、作品がイギリスと関係しているわけではありません。
そのため「イギリス」の愛称は、今では使われなくなりました。
構成
多くの主題が登場しますが、それらにはボヘミアの音楽を感じることができます。
第1楽章
チェロ、ホルン、クラリネットによる抒情的なメロディーがト短調で奏でられます。
ティンパニらで盛り上がると、鳥の鳴き声のようなフルートの音色に誘われて、第1主題(ト長調)が登場します。
第2主題は、イングリッシュホルンによって2オクターヴ低く演奏されます。
やがて第1楽章は短く劇的なコーダで終わります。
第2楽章
第2楽章は、ドヴォルザークらしい音楽でボヘミアの田舎の風景を感じさせます。
弦が主題を演奏し柔らかく終わると、それにオーボエとフルートが続きます。
さらにフルートとオーボエが朗らかに奏でられると、ヴァイオリンソロが受け取り、音楽は大きく盛り上がります。
最後は短く盛り上がった後に、「夏の日の田舎の穏やかな風景」のように優しく終わります。
第3楽章
『交響曲第8番』の中でも耳なじみのある楽章で、ワルツが奏でられます。
最後は、第2楽章と同じような終わり方をします。
第4楽章
複雑に主題と変奏が絡み合う、最も激しい楽章です。
トランペットのファンファーレで華やかにはじまり、やがてチェロが穏やかに主題を奏でます。
変奏が繰り返され音楽が激しくなりますが、その間には幾度か長調と短調を行き来します。
最初のファンファーレに戻ると、やがてゆっくりとした抒情的な変奏が流れます。
そして力強いコーダで音楽は終わります。
ドヴォルザーク『交響曲第8番』の名盤
【収録作品】ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調
【演奏】
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ラファエル・クーベリック
【録音】
1966、1972年
チェコ出身のラファエル・クーベリックは、ドイツ音楽はもちろんですが、母国のスメタナやドヴォルザークを得意としていました。
これは彼がベルリン・フィルと録音した名盤で、ベルリン・フィルの持つエンジンの排気量を最大限に発揮した名演です。
60年代後半以降のベルリン・フィルは大物指揮者との録音を避けがちでした。
しかしクーベリックは別で、ドヴォルザークの交響曲を全曲録音するなど良好な関係を築きました。
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