ブルックナー「交響曲第5番」は1875年から1878年にかけて作曲されました。

この作品はブルックナーの交響曲の中でも規模の大きい作品で、対位法の大家として才能を発揮した作品と評されています。
また「改訂癖」のあったブルックナーは多くの作品を度々複雑に改訂していますが、作曲後の改訂が比較的少ない作品でもあります。
改訂が少ない分、それはある意味ブルックナーの音楽がそのまま形になった作品だと言えるかもしれません。

決して聴きやすくはありませんが、そこがブルックナーらしい音楽と言われることもあります。

ここではそんなブルックナーの「交響曲第5番」の解説と名盤を紹介したいと思います。

ベートーヴェン「第九」作曲の年に生まれたブルックナー

ブルックナーはベートーヴェンが「第九」を作曲した1824年にこの世に誕生しました。
オルガン奏者の父のもとで育ったブルックナーは幼き頃より音楽の才能を発揮し、10歳の頃には父に代わってオルガンを弾くようになります。

12歳の頃に父を亡くしましたが音楽教育は専門的に受け続け、ブルックナーは10代後半からは小学校の補助員と教会のオルガニストを務めるようになります。

大器晩成型のブルックナー

音楽的才能は豊かなブルックナーでしたが、彼が作曲家として本格的に活動を開始するまでにはしばらくかかりました。
ブルックナーは40代半ばに差し掛かろうとした1868年に、ウィーン国立音楽院の教授になります。

そしてこの頃の初期の作品に、ヘ短調交響曲(1863年)、交響曲第1番ハ短調(1866年)、交響曲第0番(1869年)、交響曲第2番ハ短調(1872年)などがあります。

精神的に落ち込んだ時期の作品

ワーグナーを尊敬していたブルックナーは1873年についにワーグナーと会う機会を設けます。
そしてワーグナーに交響曲を献呈したのですが、これが思わぬ方向に行ってしまいます。
反ワーグナー派から大きな批判を浴びてしまうのです。

このことに精神的にショックを受けたブルックナーでしたが、彼の創作意欲が衰えることはありませんでした。
この時期に彼は交響曲第4番(1874年)と交響曲第5番(1876年)を書き上げています。

※5番は1877年に改訂され、さらには1878年にも改訂されています。

初演までに16年かかった「交響曲第5番」

1876年に書かれた「交響曲第5番」でしたが、初演までには16年の歳月を要しました。
初演は弟子のフランツ・シャルクの指揮で1894年にグラーツで演奏されました。

この時の演奏は作品は大幅にカットされ、このいわゆる「シャルク版」は長い間とても評判の悪いものでした。
しかし、近年ではこの演奏がシャルクによって勝手にカットされたものではなく、ブルックナーも認めていたのではとも言われています。

現代演奏される「交響曲第5番」はブルックナーの死後40年で初演

今私たちが聴くことのあるものは、ブルックナーが亡くなって約40年も後に初めて日の目を浴びました。
1935年に発表されたハース版と、もっとも聴くことの多い1951年に発表されたノヴァーク版が今日の録音・演奏会ではほとんどです。

ブルックナー「交響曲第5番」の名盤

こちらはギュンター・ヴァント指揮、ベルリン・フィル演奏によるブルックナー「交響曲第5番」です。
1996年の録音で演奏の素晴らしさはもちろん、録音状態も良好と言えます。

ブルックナー指揮者とも言われるヴァントらしい、まさに「名盤」です。
ヴァントはブルックナーの交響曲の中で5番と9番を特に高く評価していたそうです。

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