項目 | データ |
---|---|
作曲年 | 1825-1826年 |
初演 | 1828年 |
献呈 | シュトゥッターハイム男爵 |
演奏時間 | 40分程度 |
ベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第14番」は、1825年から1826年にかけて作曲されました。
ベートーヴェンが亡くなる前年の作品で、最晩年の傑作の一つとして知られています。
ここでは、ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第14番」の解説と名盤を紹介したいと思います。
ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第14番」の演奏
Violin:Peter Winograd, Laurie Carney
Viola:Dan Avshalomov
Cello:Wolfram Koessel
Live at Tel Aviv Museum, January 2013
【曲の構成】全7楽章
第1楽章:Adagio ma non troppo e molto espressivo
第2楽章:Allegro molto vivace
第3楽章:Allegro moderato - Adagio(11小節しかない)
第4楽章:Andante ma non troppo e molto cantabile - Più mosso - Andante moderato e lusinghiero - Adagio - Allegretto - Adagio, ma non troppo e semplice - Allegretto
第5楽章:Presto
第6楽章:Adagio quasi un poco andante
第7楽章:Allegro
弦楽四重奏が次々と誕生した
ベートーヴェンは「第14番」の直前に弦楽四重奏の「第12番」「第13番」「第15番」を次々と作曲しています。
これらの3作品はペテルブルクの音楽愛好家ニコラス・ガリツィン公爵の依頼でした。
ベートーヴェンの自信作
「第14番」は、この後に"自主的に"作曲されました。
「作曲したくて書いた作品」だけあって、ベートーヴェンにとっても「第14番」は自信作でした。
ベートーヴェンは友人に「新しい作曲法だ、神に感謝しないと。以前に比べて、まだ創造力は衰えていないよ。」と語ったそうです。
また、シューマンは「言葉にならない。人間の芸術と創造で成し遂げられる極限にきている。」と語ったそうです。
シュトゥッターハイム男爵に献呈
ベートーヴェンは甥のカールと共同生活を送り、面倒を見ていました。
カールは素行が悪くベートーヴェンが苦労したと言う説もあります。
また、"ベートーヴェンが過保護だった"という説もあります。
そんな中、カールは1826年に自殺未遂をおかしてしまいます。
周りの説得もありベートーヴェンはカールとの別れを決意し、カールは軍に入隊します。
甥が男爵にお世話になったため、献呈する相手が変わったそうです。
その後はベートーヴェンの代わりに、カールの属していた連隊の中将ヨーゼフ・フォン・シュトゥッターハイム男爵が気にかけてくれたそうです。
「第14番」はその感謝の気持ちを表して、シュトゥッターハイム男爵に献呈されました。
ベートーヴェンの死後に初演された
初演はベートーヴェンが亡くなった翌年の1828年だったと言われています。
当時の音楽雑誌には「音楽を楽しみたい人は、ベートーヴェンのこの作品を聴くべきではない。」と書かれたそうです。
それは当時の音楽と比べると"一般的でない"と感じられたからでした。
ベートーヴェン自身やシューマン、シューベルトらの天才が感じた傑作の要素は、凡人が一聴しただけではわかりにくくかったのかもしれません。
ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第14番」の名盤
スメタナ四重奏団のベートーヴェン「弦楽四重奏曲第14番」【収録曲】
ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 作品127」(1971年6月8-9日/プラハにて)
ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 作品131」(1970年6月/プラハにて)
スメタナ四重奏団
1943年にプラハ音楽院で室内楽を学んだ4人で結成。
メンバーの入れ替えを経て、1989年に解散。
1955年からはイルジー・ノヴァーク(第1ヴァイオリン)、ルボミール・コステツキー(第2ヴァイオリン)、ミラン・シュカンパ(ヴィオラ)、アントニーン・コホウト(チェロ)の不動のメンバーで活動した。
結成当初は、チェコフィルの国際的名声を高めた名指揮者ヴァーツラフ・ノイマン (Václav Neumann, 1920年-1995年)がヴィオラを担当していた。
常に暗譜で演奏し、その柔らかく緻密な音楽で20世紀を代表する弦楽四重奏団としての評価を得ている。
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