ショパンの「華麗なる大円舞曲(Grande Valse brillante)」(変ホ長調 作品18)は、1833年に作曲されました。(1834年出版)
作品はピアノの弟子、ローラ・オースウォードに献呈されました。
とても親しみやすい音楽で、ショパンが作曲したワルツ(19曲)の中で最も知られている作品の一つです。
ウィーンでワルツが大流行
この頃のウィーンではワルツが人気を博していました。
その代表的な作曲家が、ヨハン・シュトラウス1世とヨーゼフ・ランナーです。
彼らは切磋琢磨してウィーンでのワルツの人気を高めました。
1828年「ワルツ合戦」勃発
シュトラウスとランナーは一緒に下宿していたこともあり、とても仲の良い音楽仲間でした。
しかし、お互いが人気が出るにつれて次第に仲が悪くなり、ついに1828年に亀裂が生じます。
仲の悪くなった彼らはウィーン郊外の舞踏場ボックで演奏をしていたときに、ふとしたきっかけで口喧嘩を始めます。
最後にはヴァイオリンの弓や譜面台、太鼓のばちを投げ合う騒動にまで発展しました。
二人は1831年に仲直りをしましたが、以前のような仲の良い関係にまでは戻らなかったそうです。
二人の陰に隠れたショパン
その二人の大人気の陰に隠れてショパンが作曲したワルツが「華麗なる大円舞曲」です。
1829年にワルシャワからウィーンにやって来たショパンですが、シュトラウスとランナーに割って入ることはできなかったのです。
ショパンはこの作品をウィーンで出版したかったそうですが、断念したと言われています。
とショパンはつぶやいたそうです。
この背景もあり、「華麗なる大円舞曲」は、ショパンがウィンナ・ワルツの影響を最も受けた作品の一つとなっています。
ショパン「華麗なる大円舞曲」の演奏
ヴァレンティーナ・リシッツァ(Valentina Lisitsa、- )
アメリカ在住、ウクライナ生まれのピアニスト
無料楽譜
ショパン「華麗なる大円舞曲」の無料楽譜(IMSLP/外部サイト)
著作権の切れたクラシック音楽作品を中心に、膨大な楽譜が収蔵されています。
IMSLPは、IMSLPにおいてダウンロードするために提供されているファイルが、あなたの国でパブリックドメインであることを保証しません。そしてそのファイルがいかなる種類の著作権の状態であるかというかということについて、何ら法的な義務、責任を負いません。
楽譜の購入
その他の作品の楽譜
その他の曲目一覧(目次)
その他の作品・あらすじ・歌詞対訳などは下記リンクをクリックしてください。